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ヤクルトの寺原隼人が引退!かつてはホークスでも活躍したものの・・・

   

 2019年、現役生活の中で4球団目となるヤクルトスワローズに入団した寺原隼人投手。高校時代には剛速球投手として全国に名を轟かせました。

 しかし、この度2019年限りでの引退を決意したのです。今回はそんな寺原投手の引退について、詳しくご紹介していきます。

プロフィール

生年月日:1983年10月9日
出身地:宮崎県宮崎市
利き腕:右投げ右打ち
ポジション:投手


 宮崎市立本郷小学校で3年生の時に野球を始め、高校は地元の日南学園に進学。入学した時から既にストレートの球速は135km/hを超えており、3年時の6月にはサンマリンスタジアム宮崎で行われた千葉の市立船橋高校との練習試合で、当時の高校生最高球速となる155km/hを記録し、大きな話題となりました。

 3年夏には甲子園にも出場してベスト8まで進み、IBAFワールドカップに日本代表として出場するなど、大注目を浴びました。そして2001年の秋、中日ドラゴンズ、横浜ベイスターズ、福岡ダイエーホークス、読売ジャイアンツの4球団から1位指名を受け、3番目にくじを引いたホークスへの入団が決まりました。

 プロ入り後は高校生ながら1年目から一軍出場を果たすと、6勝を挙げるなどして活躍。しかし、2年目の2003年は7勝を挙げるも期待されていたほど飛躍できず、5年目となる2006年のシーズン終了後、交換トレードにて横浜ベイスターズへの移籍が決まりました。

 移籍1年目の2007年、自身初の2桁勝利となる12勝を挙げ、2008年はシーズン途中から抑えを務め、22セーブを挙げました。しかし、その後は登板機会が減り2010年のシーズン終了後、トレードで3球団目となるオリックスバファローズへ移籍

 バファローズ移籍1年目、2度目の2桁勝利(12勝)を挙げると2012年のシーズン終了後、フリーエージェントの権利を行使して地元の福岡ソフトバンクホークスに6年ぶりに復帰。しかし、選手層の厚いホークスでは目立った活躍ができず、2018年のシーズン終了後に戦力外通告となりました。

2019年、現役引退・・・

 2019年の寺原投手は故郷の福岡を離れ、東京に本拠地を置くヤクルトスワローズでプレー。2月のキャンプを一軍メンバーとしてスタートさせると、対外試合初登板となった2月17日の浦添で行われた中日ドラゴンズ戦を2回無失点に抑えました。その後も順調な調整を続け、オープン戦最後の登板となった札幌での北海道日本ハムファイターズ戦でも、3回を4安打無失点に抑え先発ローテーション入り。

 開幕6戦目の4月4日、本拠地である神宮球場での横浜DeNAベイスターズ戦で、移籍後初めて公式戦で登板。翌週11日、マツダスタジアムで行われた広島カープ戦では5回と2/3を投げ、2失点の成績で移籍後初勝利。なおこの勝利は、ホークス時代に挙げた2017年5月7日の千葉ロッテマリーンズ戦以来704日ぶりの勝利でした。

 その後は二軍で調整を続け、イースタン・リーグでは6月8日と18日の試合で連勝。25日の試合でも7イニングと2/3を投げ、自責点2と好投すると7月3日にマツダスタジアムで行われたカープ戦に先発。5回2失点で2勝目を挙げました。しかし、その後は登板間隔が空くこともあり、一度登録を抹消されてから一軍に再登録されることはありませんでした。

 更に8月以降はコンディション不良が続き、6月終了時点で4.35だったイースタン・リーグでの防御率も9月18日時点では6.42にまで悪化。9月11日に戸田で行われたイースタン・リーグの読売ジャイアンツ戦では、先発登板するも連打を浴び、3連続四球で1つのアウトも取れずに降板。そして5日後、18年間のプロ野球生活に幕を下ろすことを発表しました。


 後半戦こそ打ち込まれたものの、2019年も一軍で勝利を挙げていた寺原投手。またスワローズは2019年、規定投球回に達する見込みのある選手が小川泰弘投手ただ1人。最も多くの白星を挙げているのが39歳の石川雅規投手という状態で、若手に居場所を奪われていたというわけでもありませんでした。

 更には9月18日時点で、イースタン・リーグではチーム6位となる54回2/3を投げており、まだまだ投げられるのではないかとも思われていました。しかし彼はかつて、2014年に膝の軟骨を損傷するという大怪我を負っています。

 内視鏡下デブリードマン手術で症状は快復したものの、代償として膝に水が溜まるという症状に陥り、近年は登板後に毎回溜まった膝の水を抜き、ヒアルロン酸を注射するなどの闘病生活をしてきました。そのようなことも、引退を決断した要因と考えられます。

まとめ

 いかがでしたか?高校時代は最速158km/hの先発型剛腕として知られた寺原投手。怪我後、特に選手生活晩年はそれ程のスピードボールは見られなくなってはいました。

 そんな中で、スタイルを変えながら4球団を渡り歩き、中継ぎとしても活躍するなど自分の持っている力をより発揮するための方法を常に考えてプレーしていました。18年間、本当にお疲れ様でした。

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