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阿部慎之助の年俸推移まとめ!19年の現役生活に終止符・・・

   

 読売ジャイアンツにおいて、チームの中心選手として長きに渡って活躍し続けてきた阿部慎之助選手。2019年も一軍で多くの試合に出場し続けてきましたが、引退を発表しました。今回は、そんな彼のこれまでの年俸推移などについてご紹介します。

プロフィール

生年月日:1979年3月20日
出身地:千葉県浦安市

 高校は安田学園出身で、甲子園への出場経験はありませんでした。しかし高校通算38本塁打をマークする等、当時から注目をされていた存在でした。


 中央大学に進学後は1年の春から正捕手となり、2000年にはシドニーオリンピックの日本代表にも選ばれました。プロ入り後も持ち前の打撃力を活かし、2012年には守備が重視されキャッチャーながら首位打者と打点王の2冠に加え、最高出塁率のタイトルを獲得し、リーグMVPと正力松太郎賞も受賞しました。

 その他にもベストナイン9回、ゴールデングラブ賞4回、ベストナイン9回などの輝かしい実績を残しました。また、日本代表にも2008年の北京五輪と2009年・2013年のワールドベースボールクラシックで選ばれており、日本を代表する選手として活躍しました。

これまでの年俸推移

 阿部選手は逆指名で巨人に入団したこともあって、当初から大きな期待を寄せられていました。契約金1億円という新人選手の最高条件で契約し、1年目だった2001年の年俸は1,300万円でした。この年は規定打席にこそ僅かに届かなかったものの、新人捕手ながら2桁ホームランを打ったことで、翌年には前年比300%アップの3,800万円にまで上がりました。

 その2002年は規定打席到達に加え、ベストナインとゴールデングラブ賞も獲得し、翌年2003の年俸は前年比200%アップの7,800万円に。この年は故障もあり、94試合の出場に留まったことで2004年の年俸は前年から微減の7,500万円となりました。

 しかし、2004年は球団史上初の捕手として30本塁打を超える33本塁打を記録し、規定打席到達で自身初の打率3割も記録したことが評価され、5年目の2005年は1億2,000万円の大台に到達。2005年、2006年は飛躍的な数字ではないものの、3割30本に近い安定した成績で、2006年は1億4,000万円に微増。2007年も現状維持の1億4,000万円で契約しました。

 2007年からはキャプテンに任命され、初の4番を経験。本塁打は自己最多タイの33本、そして自身初となる100打点超えの101打点を挙げたことなどが大きく評価され、2008年の年俸は2億4,000万円にまで上がりました。2008年は成績は落とすも一軍で試合に出場し続け、チームの優勝に貢献したということもあり、2009年の年俸は2億7,000万にアップ。

 そして、2009年は2年連続優勝に加え、個人としてもチームトップでリーグ2位の32本塁打、リーグ1位の本塁打率と長打率をマークし、日本シリーズでのMVP獲得で大きく評価を上げ、2010年の年俸は3億5,000万円にまで上がりました。2010年は自身初となる40本超えの44本塁打を記録。本塁打率も2年連続のリーグトップで翌年の年俸は4億円にまで達しました。

 2011年は怪我で出遅れますが、5年連続でベストナインに選出されるなど、ナインを牽引したことが高く評価されて現状維持の4億円で契約。そして2012年、打率は捕手として古田敦也選手の.3398を上回る歴代最高の.3404を記録。両リーグ唯一の100打点超えとなる104打点での打点王。OPSもキャリアハイとなる.994をあげるといった大活躍で、2013年の年俸は5億7,000万円と大幅増しました。

 なお、この年俸は12球団の全選手の中でも最高年俸となると共に、佐々木主浩さん、松井秀喜さんに次ぐ日本のプロ野球において日本人史上3位の超高額年俸となりました。2013年は自身3年ぶりとなる30本塁打超えの32本の本塁打をマーク。2014年の年俸はついに推定6億円となり、2年連続で12球団最高年俸となりました。

 しかしその2014年は不振や怪我に苦しみ、2007年から継続してきた20本塁打超えを果たせず(19本)、打率も規定打席到達者の中で最下位の.248に。2015年も3年連続の12球団最高年俸での契約となりましたが、その額は5億1,000万円にまで下がりました。このオフからは身体への負担も考慮され、ファーストへコンバートされるように。

 しかし、これ以降はスタメン落ちすることも多くなり、2015年は打率、本塁打、打点の全ての部門で大きく成績を落とし、2016年の年俸は減俸制限近くである前年比64%減の3億2,600万円。3年間守り続けた最高年俸の座からも陥落となりました。

 そして、2016年以降も全盛期の活躍は無く、2017年に2億6,000万円、2018年には2億1,000万円、2019年には1億6,000万円と年俸は下がり続けていきました。ただ、それでも現役生活19年間の中で得た年俸額は約50億円と、驚異的な額になります。

現役引退へ・・・

 2019年限りで引退することになった阿部選手。その理由について、5年ぶりにリーグ優勝できたこと、一回り近く年齢が違う坂本勇人選手がキャプテンになってから初めて優勝できて肩の荷が下りたこと、過去18人しかいなかった節目の400号ホームランも打てたことを理由に挙げました。

 ただ、9月25日の引退会見冒頭で、引退を決めた時期と理由について9月22日神宮球場でのヤクルトスワローズとの試合の前に、原辰徳監督と話した中で思っていることがお互いに一致したことを大きな理由に挙げました。兼ねてから現役生活について、引き際の美学よりも身体がボロボロになるまで現役に拘りたいという意思を示していました。

 決断した前日の9月21日、リーグ優勝を決めてビールかけを終え、美酒に酔った夜でさえも2020年以降も現役を続けることを考えており、周囲にもその意欲を伝えていました。また若い選手を起用していきながらも、彼に関しては2020年も必要な戦力というフロント側の認識も伝わっていたそうです。


 ただそういった中で、原監督だけは別の考えを持っていました。監督はかつて、長嶋茂雄終身名誉監督が自分を次の監督とするべく育ててくれ、大きな恩義を感じているにも関わらず、その恩を返していないと感じていたそうです。そういった中で、阿部選手に対して指導者への転身を説得した時、阿部選手は自分自身以上に自分の将来のことを考えてくれていると感じ、そこで現役への未練を絶ったのです。

 晩年は先発出場は大きく減少し、2019年はファーストで27試合、指名打者で7試合とスタメンでの出場は大きく減少していました。しかしそれでも、「控えに阿部慎之助がまだいる」という状況そのものが、相手チームに大きなプレッシャーを与えていました。

 そんな彼の存在感からして、まだ十分プレーできたのではないか、と思う人もいるでしょう。ただ本人が決断した以上、今後は指導者として大きな成果を出すことに期待したものです。何より2019年10月時点で、巨人にはまだクライマックスシリーズと日本シリーズが残っています。阿部選手に、最高の花道が用意されると良いですね。

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