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伊志嶺翔大が戦力外となり、そして引退へ!今後の去就は・・・

   

 首都大学リーグで活躍し、2010年のドラフト会議で2球団から1位指名を受けて千葉ロッテマリーンズに入団した伊志嶺翔大選手。2011年には、パ・リーグの新人としては14年ぶりとなる30盗塁を達成しました。

 しかし2015年以降は出場試合数が激減しており、2019年に球団から戦力外通告を言い渡されました。そんな彼の今後の去就などをご紹介していきます。

プロフィール

【生年月日】1988年5月12日
【出身地】沖縄県
【身長】179センチ
【ポジション】外野手
【投打】右投げ/右打ち


 小学2年生の時、宮古島キャンプに来ていたイチロー選手からサインを貰ったことを契機に、プロ野球選手になりたいと強く思うようになります。陸上選手としても複数の高校からオファーを受けていたのですが、沖縄尚学高校の野球部に入部。

 その後東海大学に進学し、“大学ナンバーワン野手”と言われるほどに。そして、2010年のドラフト会議で2球団競合の末に千葉ロッテマリーンズへ入団。

 ルーキーイヤーから126試合に出場し、打率.261、32盗塁を記録するなどしました。50メートル走5.7秒という俊足と、広角に打ち分ける鋭いバッティングが魅力で、闘志溢れるプレーもファンの印象に強く残っているでしょう。

戦力外→引退へ・・・

 2011年のルーキーイヤーこそ活躍したものの、2012年は調子が上がらずに二軍降格。その二軍では、最高出塁率と盗塁王のタイトルを獲得しました。2014年は89試合に出場するも、打率.220と不振。

 2015年は僅か34試合の出場にとどまってしまいます。2016年には右太ももを痛めたことから、3試合の出場にまで落ち込んでしまい、この年はヒットを打つことすらままならず。

 そしてこの年のシーズンオフ、元千葉ロッテマリーンズの堀幸一さんが20年間使用し、伊志嶺選手へと引き継がれていた背番号“5”から“38”に変更となりました。その後もルーキーに負けず劣らずの気迫溢れるプレーと練習量をこなしていましたが、2017年も2018年も打撃は本調子まで復調せず。

 打率は3割以下でした。そして故障を繰り返していたこともあり、9年目となる2019年はついに一軍登録を果たせぬままにシーズンを終了。10月3日に来季の契約を結ばないことを通達されました。

 彼本人としても、近年の怪我の多さとそれに伴う離脱期間による出場試合数の減少と、長期化する打撃不振の状況を以って「戦力外通告は止むを得ない」と感じていたようです。

今後の去就

 2019年も、「若い選手に負けないように」という強い意気込みで臨んでいた自負があった伊志嶺選手。そんな中での戦力外通告だっただけに、後悔もなくトライアウトを受ける気持ちもないと表明しています。

 一方で、戦力外通告があった日の翌日に千葉ロッテ側から一軍のコーチのオファーを受けていました。また他球団からは、選手として現役続行の道も示唆されていることを明かしました。


 そして2019年10月13日、現役を引退しマリーンズの1軍コーチに就任することが発表されました。具体的な役職については10月14日現在明らかになっておらず、後日球団から発表されるようです。

 ルーキーイヤーの活躍があった一方で、怪我に泣かされることの多かった現役生活。選手として酸いも甘いもを知るその経験を生かして、良い指導者になると良いですね。

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