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智弁和歌山の黒川史陽、父親がすごい人だった!家にバッティングセンター!?

   

 2019年、ドラフト2位で楽天イーグルスに指名された智弁和歌山高校の黒川史陽選手は、家族みんな甲子園常連校に所属していた超エリート野球一家の次男です。また父親もすごい人で、なんとバッティングセンターを経営しているのだとか。まさに華麗なる野球一族とも言うべき、黒川一家についてご紹介します。

智弁和歌山での活躍

生年月日:2001年4月17日
出身地:奈良県河合町

 河合小学校で1年の時から軟式野球を始め、中学時代は泉州阪堺ボーイズに所属。3年の時に全国大会に出場し、さらにNOMOジャパンのメンバーにも選出され、アメリカ遠征も経験。

 その後、和歌山の甲子園常連校である智辯和歌山高校へ進学すると1年春からベンチ入りし、同年夏の大会では3番三塁手として甲子園に出場し初ヒットも記録。2年春の選抜大会では6番二塁手としてプレーし、チームは準優勝。夏の甲子園も出場しました。


 その後はチームの主軸として活躍するようになり、高いリーダーシップとコミュニケーション能力から主将に任命されます。春も夏も甲子園出場を決め、高校球児なら誰もが夢見る甲子園5期連続出場という偉業を達成。

 ただ、最後の甲子園では主将としてチームの士気を高める役割に大きな重圧を感じてしまったのか、13打数1安打と本来のバッティングを発揮することなく敗退してしまいました。その後、地道な努力を続けた結果、甲子園後の国体でその実力を遺憾なく発揮し、楽天イーグルスからドラフト2位で指名されました。

家はバッティングセンター!?父親がすごい!

 そんな黒川選手ですが、実は素晴らしい野球一家のもとに生まれているのです。三兄弟の次男として生まれたのですが、長男は宮崎の日南学園で春夏連続甲子園出場を果たしています。三男は2019年から石川の星稜高校に進学し、チームは同年夏に甲子園へ出場しています

 星稜高校といえば、あの奥川恭伸投手や山瀬慎之助選手が所属していましたね。そして前述の通り、史陽選手も5期連続で甲子園に出場しています。つまり、兄弟全員が甲子園常連校で甲子園を経験している野球エリート兄弟なのです。

 ものすごい兄弟ですが、彼らのお父様もまたすごい野球人なのです。なんと大阪の上宮高校に所属しており、1993年のセンバツ甲子園で全国優勝を成し遂げた時の主将を務めていたのです。その後も同志社大学、ミキハウスーセガサミーと大学野球及び社会人野球の道を突き進んできた、まさに野球人そのもの。

 そんなお父様は、奈良県の王寺でバッテイングセンター「ドームスタジアム」を経営しています。このバッティングセンターは普通のセンターと違い、高校野球やプロ野球で使用される硬式を打てる他、野球に励む学生たちのために学習塾まで併設されている、異色のバッティングセンターなのです。

 実際に史陽選手らご兄弟も、父親に言われるまでもなく自分たちでこのバッティングセンターに通い、練習に励んでいたとのこと。野球経験者からすれば、羨ましい限りのお家ではないでしょうか?

 自ら甲子園優勝の経験を持ち、指導の経験もあるだけに3名の息子たちは、野球の英才教育を施された異色の一家と言え流でしょう。そんな野球をこよなく愛するお父様の下でこそ、黒川選手の高いバッティングセンスと人間性が磨かれたのかもしれませんね。

ドラフト2位で楽天へ

 最後の夏の甲子園で思うようなバッティンができず、試合後は相当に落ち込んでいたとのこと。その後、試合の映像を徹底的に見て反省していたそうです。

 特に6打数無安打に抑えられた、弟の所属する星稜高校の奥川恭伸投手を攻略するべく、毎日木製バットを振り込んでいたと語っています。そして、9月末に行われた茨城国体でも木製バットを使用。


 初戦に星稜高校と対戦して奥川投手との再戦が実現。すると彼から4安打を放ち、見事雪辱を晴らしたのです。2回戦でも3安打を放ち、2試合で9打数7安打と大活躍しました。

 楽天のスカウト部長は、彼の木製バットを操る様を見て「いける」と感じたのだそうです。球団内では、浅村栄斗選手の後継者とも目されているとのこと。


 西武時代にキャプテンを務めた彼のように、統率力や人間性も高く評価されているようです。そんなリーダーシップを楽天で大いに発揮して、引き続き頑張って欲しいですね。

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