中日ドラゴンズ友永のその後!戦力外通告を受けた元背番号「1」の現在・・・
かつて中日ドラゴンズで監督を務めていた落合博満さんがその才能に惚れ込み、球団の顔とも言える選手背番号「1」を与えられて入団した友永翔太選手。しかしプロで思うように結果が出せず、僅か5年で戦力外を受けました。今回はそんな彼のその後などについて、ご紹介していきます。
プロフィール
生年月日:1991年4月1日
出身地:神奈川県秦野市
利き腕:右投げ左打ち
ポジション:外野手
友永翔太選手。
中日に入団してからあまり球場に応援行けなかったけど、NPBで必死に頑張る姿に刺激をいただいていました。ワールドトライアウトで打席に立つ時に一際大きな声援を受けている姿や、試合後の清々しい表情がすごく印象に残ってる。次のステージでの活躍も心から応援してるぞ🔥 pic.twitter.com/LgoFu53CzQ— 佐藤友美 (@TOMOM1_53) December 30, 2019
神奈川の名門である東海大学相模を卒業した後、国際武道大学と日本通運を経て2014年にドラフト3位で中日に入団。ドラフト3位ながら、彼は順位以上に期待されていた選手でした。
ドラゴンズでは1998年に、高校生として史上最多7球団から重複指名された福留孝介選手以来、16年ぶりに新人選手で背番号「1」を付けることになったほどです。プロ1年目の2015年から1軍に帯同し、ジャイアンツのエースで高校の1年先輩に当たる菅野智之投手からヒットを放つなど、大気の片鱗を見せました。
その後、3年目の2017年10月1日にヤクルトスワローズ線で初打点も記録。しかし、プロ5年間で打点をあげたのは、このシーズンでの2打点のみでした。
戦力外通告!その後・・・
2018年は1試合も1軍の試合に出場することなく終わり、オフには背番号も1番から62番へ変更されました。そして背水の陣で迎えた、プロ5年目のシーズンも10試合の出場に留まり、1本のヒットも打てませんでした。
ウエスタン・リーグでも打率.259、3本塁打、15打点と、社会人卒5年目の成績としては高く評価できるものではありませんでした。そして2019年10月1日、戦力外通告を受けました。本人は戦力外を受けた時点ではやりきったという思いも強く、そのまま引退することも考えたと言います。
言っちゃ悪いけど、中日は落合が監督やめてからどんどんおかしくなっていった
監督としては良かったけど、チーム編成やりだしてからドラフト戦略失敗しまくって、その一人がこの友永でしょ
簡単にレジェンドの背番号あげた(34番とか)とかもあるし、関係ないけど応援も変わって中日の魅力はなくなった pic.twitter.com/3W4odJiFqZ
— Tatsμya (@264johjima78934) December 31, 2019
しかし2009年に両親が離婚した後、女手一つでエアロビの講師をしながら翔太選手含め3人の子供を育ててくれたお母様の美樹さんや、学費などの金銭面で多大な援助をしてくれたお祖父様の豊次さんの後押しもあり、トライアウト受験を決断。
特に豊次さんは、肺ガンを患って闘病生活を送っていました。豊治さんは「再び他の球団にカムバックできれば病気も良くなる」とも話していました。トライアウトに向けては、豊次さんが住む大分県でトレーニングを行いました。
中でも武器である走力に磨きをかけるべく、砂浜での走り込みなどトレーニングをしていました。しかし、11月12日のトライアウト直前、闘病中だった豊次さんが肺炎のため急逝。豊次さんの後押しが頑張る動機となっていたため、この出来事はたいへんショックだったことでしょう。
中日友永、泣きながら打っていた pic.twitter.com/sE1iVoMO3Q
— チカネス@予備垢 (@dougaaka12) December 30, 2019
それでも葬儀では、「必ずいい結果を報告します」と約束しました。向かえたトライアウトではファーストゴロ、空振り三振、レフトフライ、ファーストゴロという成績で4打数無安打でした。出塁できなかったことで自慢の足も披露できず、オファーもなかったことでユニホームを脱ぐことに。
それでも諦めず、11月30日に神宮球場で行われた、プロ野球以外に独立リーグ・アマチュア野球・マイナーリーグ等にも広く門戸を開放されたワールドトライアウトを自身の引退試合として受験。この試合にはお母様の美樹さんも観戦に訪れていましたが、俊足を活かして三塁打も放ち、2打席連続で打点を記録しました。
まとめ
いかがでしたか?プロ野球選手としての生活は幕を閉じましたが、自分自身は終わらないと決意。そして、TBS系列で2019年12月30日に放送された「プロ野球戦力外通告・クビを宣告された男達」に出演。
戦力外通告受けた元中日友永外野手
同じ悟り世代代表としてクビのリスクある厳しい世界で必死に努力されてて脱帽
謙虚さも人間的に尊敬の一言
今後は起業し、資本主義に立ち向かう様
次は必ず成功できるはずです!
悟り世代として勇気付けられました!有難う御座いました!https://t.co/yEgXmSXsQu pic.twitter.com/AXbB8XQPrk— ネオコン@悟り世代の権化 (@NeoCoservative) January 2, 2020
スーツ姿で活動している姿も放送され、起業を目標としていることも明かされました。プロ野球選手としての成功は修められませんでしたが、まだ20代で十分に取り返せる年齢だと思います。ぜひ今後、成功して欲しいですね