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高木守道のバックトス伝説!日本を代表する名二塁手が天国へ・・・

   

 2代目ミスタードラゴンズと呼ばれた、高木守道さんがご逝去されました。あの伝説のバックトスが生まれるまでのストーリーと、これまでの活躍を振り返ります。

プロフィール

【生年月日】1941年7月17日
【年齢】78歳没
【出身地】愛知県名古屋市
【身長】174センチ
【ポジション】二塁手
【投打】右投げ/右打ち


 愛知県名古屋市生まれで岐阜県岐阜市育ちの高木さん。現役時代は出生地である愛知を本拠地とする中日ドラゴンズで活躍。

 その後も同球団のコーチや監督を務めるなどして、生涯ドラゴンズに尽くしていたことから、初代の西沢道夫さんに続き2代目ミスタードラゴンズと呼ばれていました。ベストナイン7度選出は、二塁手として最多の記録です。

 ダイヤモンドグラブ賞(現在のゴールデングラブ賞)にも3度選ばれました。球界を代表する名二塁手として知られるほか、俊足と安定した打力も兼ね揃えていました。

 盗塁王を3度獲得し、史上11人目の2,000安打も達成。まさに走攻守、三拍子が揃った記憶と記録に残る名選手でした。1994年には長嶋茂雄監督率いる巨人と、勝った方がリーグ優勝となる最終戦において、中日の監督として伝説の10・8決戦を指揮。2006年に野球殿堂入りしました。

驚異のバックトス

 現役時代から様々な伝説を生んできた高木さん。セカンドで見せたグラブ捌きは圧巻そのもの。現役21年間で、二塁手での守備機会は1万1,477度と言われており、日本で1万を超える守備機会を持っているのは、高木さんただ1人なのです。

 打球に対する反応の速さから、「相手の打球が来る道筋が見えているのでは?」とも言われました。ピッチャーの投げる球種やコースに合わせた位置取りに、抜群の才能を持っていたのです。

 その技巧が凝らされた精度の高い守備に対し、相手打者からは「打ったところにいたように感じた」というコメントもありました。そんな中で入団3年目くらいから練習を重ね、密かに覚えた技が「バックトス」です。


 今でこそ多くの人に浸透したこのプレーですが、日本でのルーツは高木さんからと言えるでしょう。当時、ダブルプレーの際に二塁付近へ飛んだ打球の処理について、問題意識を持っていたそうです。難しい打球を捕球した後に、体勢を立て直してから二塁へ送球するのでは遅い

 そんな時に高木さんは、テニスで左利きの選手がバックハンドストロークでボールを打ち返すシーンにヒントを得て、バックトスを思いついたと言います。キャンプに臨時コーチとして来ていたカールトン半田さんに相談して協力を得ながら、猛練習を重ねた末に身に付けたのだとか。

 高木さんは数メートル離れた距離から、ショートにバックハンドから鋭い送球を放っていました。並々ならぬ努力の結果としてあのバックトスが生まれ、さらには二塁手としての出場試合数、補殺数、刺殺数、併殺数の全てでトップに立つほどになったのです。

突然の逝去

 高木さんは普段から口数が少なく、温和な性格で知られていましたが、一方で怒るとものすごく怖い人と知られていました。そんな高木さんが、1月17日に急性心不全のため、名古屋市内にて亡くなられました。

 2月には名古屋市内のイベントに参加する予定もあり、誰もが予想だにしていませんでした。1月12日には、1年先輩でチームでも仲が良かった板東英二さんがレギュラーを務めるCBCラジオ、「坂東サンデー」にも出演し、現役時代の思い出話をしていたのです。


 本当に何の異常もなく、元気そうに過ごしていたようなので、関係者などからは信じられないといった旨のコメントが多く上がっています。

 二塁手としてバックトスをはじめ、数々の偉業を成し遂げ、引退後も指導者として中日ドラゴンズを支え続けてきた高木守道さん。ご冥福をお祈りします。

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