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元西武ライオンズのトニー・フェルナンデスが突然の死去!その死因とは?

   

 西武ライオンズでプレーし、多くのファンに愛されていたトニー・フェルナンデスさん。敬虔なクリスチャンで現役を引退した後は、世界の恵まれない子供たちを助ける非営利団体、「トニー・フェルナンデス財団」を設立。

 母国のドミニカの他、アメリカやカナダにオフィスを構えて、社会貢献にも熱心に取り組んでいました。しかし2020年2月15日、57歳でこの世を去りました。今回は彼の死因などについて、詳しくご紹介します。

プロフィール

本名:オクタビオ・アントニオ・フェルナンデス・カストロ
生年月日:1962年6月30日
出身地:ドミニカ共和国サン・ペドロ・デ・マコリス州サンペドロ・デ・マコリス
利き腕:右投げ両打ち

 1979年に17歳でトロント・ブルージェイズと契約してプロ入り。1983年9月に初めてメジャーに昇格。1985年からはほぼ全試合に出場する不動の正遊撃手としてチームを支え、1986年〜1989年にかけて4年連続でゴールドグラブ賞を受賞しました。

 1990年にトレードでサンディエゴ・パドレスへ移籍すると、その後は短い期間での移籍を繰り返し、1999年までに計6球団でプレー。同年オフにフリーエージェントとなると、1998年限り退団していたドミンゴ・マルティネス選手の代役を探していた西武からオファーを受け、年俸3億3,000万円の1年契約で入団


 ライオンズでは主に三塁手として出場し、打率.327でパ・リーグ4位に。しかし故障が多かった事と、既に38歳だったこともあり、契約更新とはなりませんでした。それでも当時オーナーだった堤義明さんは「ライオンズに無いものをアメリカから持ってきてくれた。ありがとうと言いに行かせる」コメント。

 編成担当者を、帰国していたフェルナンデスさんの元に向かわせる、という敬意を示しました。日本を去った翌年の2001年限りで現役を引退しましたが、メジャー通算で2158試合に出場して試合数を上回る2276安打を記録。94本塁打844打点という成績を残しました。

 この実績が認められ、引退後の2008年にはブルージェイズの本拠地をある、カナダで野球殿堂入り。さらにブルージェイズ時代に付けていた背番号1は、ブルージェイズの「レベル・オブ・エクセレンス(準永久欠番)」として顕彰されることとなりました。

突然の死去!死因は?

 フェルナンデスさんが2020年2月15日の午後、腎臓病とその合併症により、57歳で亡くなったことが発表されました。2017年に多発性嚢胞腎と診断されており、その時は何とか一命を取り留めましたが、今回は同じようにはなりませんでした。

 亡くなる2週間前の2月1日には、出身地であるドミニカ共和国のメディア「Z101」のディレクターであるエクトル・ゴメスさんや、アメリカの複数の報道機関から危篤状態だと伝えられていました。生命維持装置をつけていて、外からのいかなる刺激にも反応がない昏睡状態だったのです。

 最後はフロリダ州にあるウェストンの病院で、家族の立ち合いの下、生命維持装置を外されることで生涯を終えたそうです。トニー・フェルナンデス財団のディレクターであり、共同設立者であるイムラッド・ハリムさんが明かしています。


 腎臓と脳、一見すると全く関係ない箇所同士に思えますが、慢性の腎臓病は進行すると末期の腎不全(CKD)になり、あらゆる合併症を引き起こします。彼の場合はここ数年、新しい腎臓を待っていたことも明かされており、そのステージは相当悪化していたようです。

 末期の腎不全となると、治療法は人工腎臓を埋め込む手術を行うことや、2~3日に1回の透析治療を行うこと、健康な人から腎臓を移植してもらうことぐらいに限られます。そしてこういった症状の原因となるのが、多い順に糖尿病性腎症・慢性糸球体腎炎・腎硬化症・嚢胞腎などになります。

 中でも、糖尿病性腎症と腎硬化症は増加傾向にあります。特に腎硬化症は高血圧による腎障害の一種で、高血圧症が悪化して動脈硬化を促します。

 すると心筋梗塞や脳梗塞、脳出血などの心血管疾患や脳疾患に関わる、病気の発症リスクを高めます。彼の場合は腎臓病しか発表されていませんが、最終的な死因が脳卒中だったことから、腎硬化症を引き起こしていたと考えられます。

まとめ

 日本でプレーしたのは1年間だけでしたが、当時貧打にあえでいた西武で大活躍したフェルナンデスさん。頭のサイズに合わない大きな帽子を被ったり、ヘルメットを浅めに被っていた姿が印象的でした。

 全力疾走した際には毎回のようにヘルメットを飛ばし、名前とも合わせて「フェルメット」などというニックネームもつけられていました。多くのファンから愛された選手だったのです。


 一方でルーティンを大事にしており、やるべきことを徹底する姿勢は、メジャーに憧れていて当時まだ若手だった松井稼頭央さんや、松坂大輔選手ら若手にも大きな影響を与えたと言います。御冥福をお祈りします。

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