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ダルビッシュ有と斎藤佑樹が不仲になった決定的な瞬間がこちら・・・

   

早稲田実業時代、ハンカチ王子として一世を風靡し、野球界に新風を吹かせた甲子園のスター、斎藤佑樹投手は2021年をもって11年間のプロ野球生活に別れを告げました。

2021年10月1日、所属していた北海道日本ハムファイターズから斎藤投手の引退発表があり、17日のオリックス・バファローズ戦で引退試合が行われました。

試合は4-3で勝利。

試合後の引退セレモニーでは、早実の先輩でもある現ソフトバンク会長の王貞治さんから、3分間にわたる温かい労りのビデオメッセージが送られました。

現役時代、一時は「ダルビッシュさんを目指す」と、かつて日ハム時代に同じチームで同じ投手の先輩だったダルビッシュ有投手を目標としていた斎藤投手でしたが、引退に際して当のダルビッシュ投手からは特にコメントはありませんでした。

過去には師弟関係でもあった斎藤佑樹投手とダルビッシュ有投手。

しかし、現在は冷戦状態だと言われています。

2人の間に、一体何があったのでしょうか?

蜜月時代

早稲田実業学校から早稲田大学へと進学し、高校・大学と輝かしい実績をほしいままにしてきた斎藤佑樹投手。

2010年のドラフト会議では4球団が1位指名をする中、交渉権を得た日本ハムファイターズに入団しました。

当時日ハムのエースとして活躍していたダルビッシュ有投手は、そんな斎藤投手に興味を示し、「化けの皮を剥がしてみたい」とコメントするなど、かなり意欲的に斎藤投手の指導を始めました。

純粋に野球が好きなダルビッシュ投手は、『斎藤佑樹』という野球選手の実力を見るのを楽しみにしていたのかもしれません。

斎藤投手もまた、いろいろと教わりたいとダルビッシュ投手の後をついて周り、マスコミは2人のツーショットをよく捉えていました。

2011年の春季キャンプ前から2人は師弟関係を結び、ダルビッシュ投手は斎藤投手に対して、身体のケアやトレーニング方法などを親身に教えていきました。

たとえば、筋力の左右のバランスを整えるための、利き手とは逆の左手のキャッチボールなどを、「こうしたらどうだろう」と教えていきます。

ダルビッシュ投手にしてみれば、同じ投手の斎藤佑樹が可愛くて仕方がなかったのかもしれません。

違和感から亀裂へ

積極的に斎藤投手を指導したダルビッシュ投手でしたが、次第に「どこか違う」と彼に違和感を抱くようになります。

ダルビッシュ投手直伝の「左手のキャッチボール」についても、「ちょっとやってみようかなと思います」と言ったものの、斎藤投手は少しもやる気がなかったようです。

「はい」と口では返事をするものの、斎藤投手はダルビッシュ投手の教えを実践する気持ちがなかったようなのです。

ある日ハムの担当記者も、「あくまでも社交辞令の範疇だった」と語っています。

また球団関係者の話では、斎藤投手は左の脇腹を痛めて2軍で調整中だった時期に、都内に遊びに出かけたことがありました。

寮の規則では、故障中の選手が外出することが禁じられているので、斎藤投手はその規則を破ったことになります。

しかも、斎藤投手が外出する時には、早実の後輩が運転する車で行くことが多いようです。

罰則規定があるわけではないですが、そんな事実を知ったダルビッシュ投手はひどく憤慨したそうです。

徐々に亀裂が入り始めた2人の仲でしたが、それが決定的になった瞬間が2011年5月のソフトバンクホークス戦でした。

先発投手として出場した斎藤投手は、初回を三者凡退に抑えたものの、左の脇腹に違和感を覚えて途中降板しました。

ベンチ裏に入った斎藤投手はトレーナーの指示に従い、しばらくアイシングをしていたといいます。

しかし、斎藤投手を心配したダルビッシュ投手が様子を見に行くと、なんと斎藤投手は携帯電話をいじっていたのでした。

これにダルビッシュ投手は怒り心頭。

「お前、誰のせいで中継ぎや野手の人たちが必死に戦ってくれてるんだよ。治療が終わったら、さっさとベンチに来て応援しろ!」と斎藤投手を怒鳴りつけたといいます。

この時斎藤投手は、ケガを心配して連絡してきた関係者へメールを返信していたようですが、斎藤投手を思いやって様子を見に来たダルビッシュ投手としてみれば、携帯電話をいじっている姿を見て激昂するのも無理ないかもしれません。

間が悪いところを見られてしまった形の斎藤投手ですが、それ以来両者はグラウンドでの会話もなくなったそうです。

入団当初「目指すはダルビッシュさん」と言っていた斎藤投手も、メディアでのインタビューで「お手本になるのは武田勝さん」と前言をひるがえし、もはや両者の修復は不可能というところまできてしまいました。

一時は師弟関係まで結ぶほど仲の良かったダルビッシュ投手と斎藤投手でしたが、わずか数ヶ月で冷戦状態になってしまいました。

翌2012年、ダルビッシュ投手はメジャーリーグのレンジャーズに入団。斎藤投手とは冷え切った関係のまま別れを迎えることになったのでした。

ハンカチ王子引退

ダルビッシュ投手が斎藤投手から離れたのは、野球に対しての考え方の違いや「打ってもどこか響かない」という不満があったからだとされています。

また、斎藤投手が練習嫌いだったというところも、野球に対してストイックなダルビッシュ投手が気に入らなかった点だとも言われています。

事実、当時ファイターズのピッチングコーチだった吉井理人さんも、「あんなに練習しない選手は初めて見た」と語ったことがあります。

キャンプでの強制的な走り込みはしても、自主的には練習しない斎藤投手を、ダルビッシュ投手は早くから見抜いていたようです。

根っからの野球選手であるダルビッシュ投手にはそれが我慢ならず、斎藤投手から離れる原因になったのだとも囁かれています。

しかし、「目いっぱい彼なりにやってきた野球人生だと思う。お疲れ様と言いたい」と語るのは、早実の先輩でもある元日本ハムピッチングコーチの荒木大輔さんでした。

彼は、引退を発表した斎藤投手に「研究熱心で頭が下がるほど必死に野球に取り組んでいた。今後、どの道に行っても必ず生きると思う」とエールを送っています。

新庄剛志選手やダルビッシュ有投手に次ぐ人材だと期待されて入った、プロ野球の世界。

プロ入り後はケガに苦しみ、通算勝利数は15勝にとどまるという不本意な結果に終わった斎藤投手でしたが、彼なりに精一杯走り抜けた野球人生だったのでしょう。

ダルビッシュ投手も「斎藤佑樹を馬鹿にする奴らへ」と題した動画を自身のYouTubeチャンネルに投稿し、「斎藤佑樹は仮説を立てて取り組んでいる姿がすごい。プロ意識が高いと思う」と語っています。

斎藤佑樹さんのセカンドライフはまだ決まっていないようですが、何らかの形で球団に残るにしても、野球から離れた人生を送るにしても、研究熱心な態度は必ず成功をもたらすと思います。

まとめ

2006年、夏の甲子園決勝で駒大苫小牧高校の田中将大投手と、引き分け再試合にまでもつれ込んだ投げ合いを制し、見事に優勝を果たした斎藤佑樹投手。

試合途中にハンカチで汗を拭う仕草から、「ハンカチ王子」と言われて人気沸騰した斎藤投手は、その後進学した早稲田大学でも東京六大学野球史上6人目となる通算30勝300奪三振を成し遂げ、ドラフト1位で北海道日本ハムファイターズに入団しました。

入団当初、斎藤投手とダルビッシュ投手は師弟関係を結ぶほど友好的な関係でした。

しかし、野球に対する考え方の違いなどで違和感を覚えたダルビッシュ投手は、次第に斎藤投手を遠ざけるようになります。

そんな最中に起きたのが「メール事件」でした。

怪我で途中降板した斎藤投手を心配してベンチ裏に様子を見に来たダルビッシュ投手の目に入ったものは、携帯電話をいじる斎藤投手の姿でした。

これにダルビッシュ投手は激昂。

2人の仲に亀裂が入った決定的な瞬間だといわれています。

以来両者は冷戦状態が続きました。メジャーリーグに活躍の場を求めて羽ばたいたダルビッシュ投手と、プロとしての目が出ずに引退した斎藤佑樹元投手。

かつてのチームメイトは人生のフィールドを異にしてしまいましたが、斎藤さんには第二の人生で花開くことを期待したいですね。

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