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落合博満が唯一練習をやめさせた男「マイナス思考すぎ。もうやめとけ」

   

日本のプロ野球、およそ70年の歴史の中で唯一、三冠王を3回獲得し、監督時代には中日ドラゴンズで指揮した8年、全てAクラス入りを果たした落合博満さん。

選手としても監督としても、素晴らしい偉業を達成した人です。

そんな落合さんといえば、監督時代、選手たちに猛練習を課して話題になりました。

キャンプ初日から紅白戦という異例のスタートに始まり、四勤一休つまり四日練習して一日休むと言うサイクルが一般的だったプロのキャンプにおいて、六勤一休と評論家から故障の心配も懸念されたようなサイクル

森野将彦選手や井端弘和選手など、チームの主力になる選手が気絶するほどにまで続けられたノックも、記憶に残っている人が多いでしょう。

そんな想像を絶するほどの練習量を選手に課していた落合さんが、監督時代に唯一練習をやめさせた選手がいたそうです。

マイナス思考で練習の虫

監督時代、選手たちに猛練習を課したことで有名だった落合さんが、唯一練習をやめさせた男。

それは井端選手と共に、『アライバコンビ』として鉄壁の二遊間を誇っていた荒木雅博選手でした。

落合さんは就任当初から、ドラゴンズの選手たちを見て練習量が少ないと感じていたそうです。

落合監督の2時間以上に及ぶノックに、最後までくらいついて受けていたのは荒木選手、井端選手、森野選手の3人だけで、他の選手は逃げたというエピソードがあるくらいハードだったようです。

その最後まで食らいついていた選手の1人、荒木選手に対しては猛練習を課していた落合監督をして、練習をやめるように指示したほどでした。

荒木選手はマイナス思考が人一倍強い影響で、落合監督から見てもオーバーワークだったようです。

「こうなったらどうしよう?」「ああならないように備えなくては…」

そういう不安が、周りが止めなければいけないほど練習に没頭させていたようです。

しかし、落合監督が止めるように言ってもやめず、ついには怪我をしてしまったのですが、それでも練習をやめなかったそうです。

そんな苛烈なほどに練習の虫だった荒木選手ですが、やはり練習は嘘をつかなかったようです。

落合さんが監督を務めていた8年間、ずっと試合に出続けていた規定打席到達者は、荒木選手だけでした。

のちに落合さんも、「評価からいけば1番上になっちゃうんじゃないのかな。」と語っていました。

落合監督と荒木選手

荒木選手は95年、熊本工業から外れ外れ1位でドラゴンズに指名され入団。

96年、二軍のウエスタンリーグで開幕2戦目、ダイエー戦で代走として初めてプロの試合に出場。

二塁走者から浅い右飛でタッチアップした時、コーチは暴走と感じたものの、結果的にセーフ。

このことから、「身体能力は一級品だが野球の技術がない」と評価されます。

ドラフト1位ながら、なかなか芽が出ずにいましたが、入団7年目の02年に1年通してレギュラーとして出場し、徐々に才能が開花。

そこから2年続けて規定打席に到達します。

そんな中で、04年から落合さんが監督に就任。

落合政権ではリードオフマンとして39盗塁、1試合4安打以上を1年間で9度記録するというプロ野球記録を打ち立てると共に、セ・リーグ新記録となる149単打を放ちます。

守備でも井端選手との二遊間、「アライバコンビ」は中日の代名詞的存在となり、落合監督からも

「このコンビは12球団1。二塁手単独ならメジャーの超トップクラス」と高く評価されていました。

荒木選手はグラウンド外でも延々と野球の話を落合監督とし、選手の中では彼と一番多く一緒に食事をしたそうです。

落合さんにとっても一番長く話をしたのが荒木選手で、野球に関して彼は人一倍貪欲だったそうです。

そんな荒木選手が、落合監督が掲げた掟を破ったことがありました。

それは11年9月23日の、ヤクルトスワローズ戦でした。

この時のプレーは荒木選手が引退会見で、「あの走塁はナンバーワン」と挙げたプレーでした。

破った掟とは、普段だったら落合監督に怒られるほどの禁じ手だった、ホームへのヘッドスライディングです。

当時はまだ現在のようにコリジョンルールが存在せず、ホームへのヘッドスライディングはキャッチャーと正面衝突し、大怪我になる可能性がありました。

そのため落合政権下の中日では、ホームへのヘッドスライディングは罰金が課せられていました。

その掟を荒木選手は破り、ホームへまるで一瞬宙に浮いたかのような、神業的なヘッドスライディングで生還したのでした。

球団初の連覇を達成した11年は、首位スワローズとの最大10ゲーム差をひっくり返しての優勝でした。

そのきっかけこそ、この試合の勝利であり、さらに突き詰めれば荒木選手の神懸かったヘッドスライディングでもぎ取った1点だったといえます。

優勝争いの最中に発表された落合監督の退任、その翌日に荒木選手がみせた現役最高と自画自賛するほどのプレーについて、落合元監督は次のように振り返っています。

「もう俺は来年いないんだから、別に怒られる事もないからと思ってギリギリの所で頭からきた。ケガしてもいいんだっていう心境のプレー。監督にはもう怒られないんだから、自分がやりたいようにやった。でも、アレだけは凄いと思う。飛んでるもんな」

落合監督が読み解いたのは荒木選手の心境であり、たとえ退任が決まっていたとしても、ケガを伴うプレーをした荒木選手のことを、師である当時の落合監督は叱っていたに違いありません。

そうしなかった、あるいはさせなかったのがあのプレーの真の凄さなのです。

また落合監督は荒木選手に対し、

「監督を務めた8年間で唯一、規定打席をクリアした選手。つまり、監督にとっていなければ困る選手だった」と語っています。

「監督在任の8年間で、後にも先にも『やり過ぎだからもうその辺で止めておけ』と言ったのは荒木ひとり。ストップかからないんだもんアイツ。そんな選手見たことない。だからここまでやれたんだと思う。そういう選手を一人でも二人でも育ててくれるのが、これからの仕事。荒木に勝るセカンドはいなかったんだから」

今後、荒木さんが指導者として自分自身のように強い体と心を持ち、監督から大きな信頼を寄せられるような選手を育てることに期待したコメントを送るのでした。

まとめ

いかがでしたか?

それまでのプロ野球の常識では考えられないような猛練習を課していた落合博満さんが、

「お前練習のしすぎだからやめておけ」と言わせるくらいの練習をしていた荒木雅博さん。

ハードな練習で有名だった中日の中で、それ以上に練習をやっていたと考えると、とてつもない練習量だったことでしょう。

そしてそうした練習は決して嘘をつかず、荒木選手は落合監督に最も信頼される選手になりました。

2022年現在、荒木さんは中日で一軍の内野守備走塁コーチを担当しています。

これからは指導者として、かつての荒木選手のような、あるいは荒木選手を超えるような選手を育ててくれることに期待したいですね。

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