山﨑武司が目の当たりにした落合博満の本性「俺をいじめてきたし人間性は嫌い」
現役時代、中日ドラゴンズや楽天イーグルスで活躍し、通算403HR、HR王2回、打点王に1回輝いており、セ・パ両リーグでHR王に輝いた山﨑武司さん。
しかしそんな強打者の山﨑さんが、なんと「落合さんによくイジメられた」と発言したことがあったのです。
一体、過去に落合博満さんと何があったのでしょうか?
落合によるいじめ
落合さんといえば、日本のプロ野球の歴史上唯一となる、3度の三冠王を達成した偉大な打者です。
また、引退した後は中日ドラゴンズの監督を務め、4度のリーグ優勝、1度の日本シリーズ優勝にチームを導いた名監督でもありました。
そんな落合さんに「イジメられた」と告白した山﨑さん。
問題の告白は、2010年12月11日に仙台市内で行われたトークショーの最中でのことでした。
当時楽天に在籍していた山﨑さんは、
「43歳の最多HRは落合さんの21本ですよね。それは楽勝ですね」
と、自らも43歳を迎えるという次のシーズンに向けて、「打倒落合」を目標に掲げました。
そして、
「プロ1年目のキャンプで一緒の部屋になってよくいじめられたんですよ。その時、絶対にこの人を抜いてやろうと思った」と、
「打倒落合」を目標とした理由を語りました。
山﨑さんが告白した「イジメ」は、1987年の春季キャンプに遡ります。
当時山﨑さんは、18歳で中日に入団したばかりでした。
そんな中で、3度の三冠王という実績を引っ提げてロッテから移籍した当時33歳でベテラン選手だった落合さん。
色々と指導してもらうことを期待していた山﨑さんでしたが、落合さんは何も教えてくれなかったそうです。
「教えてもらった記憶がない。落合さんは部屋で知り合いとずっと酒を飲んでいた。よく外に逃げ出してたね」
と、山﨑さんは当時を振り返っています。
2年後に入団した大豊泰昭さんも同様で、「大豊さんと俺はいびられたよ」と山﨑さんはイジメを暴露したのでした。
真似したくない人間性
「バッターとしては目標にしてもいいけど、人間性は真似したくない」
これは、山﨑武司さんの著書『さらばプロ野球』に書かれた言葉です。
この本には、山﨑さんの落合さんに対する思いが綴られています。
山﨑さんは、入団したての頃から先輩たちに媚びない性格で、周りから
「生意気だ」とよく怒られていたそうです。し
かし最終的には認められ、可愛がってもらえるようになりました。
ですが、「落合さんだけは最後まで僕に見向きもしなかった」と語っています。
そんな確執があったためか、「落合さんに監督の能力があるとは思えない」とも山﨑さんは言っています。
落合さんのことを「勝利史上主義」だという山﨑さんは、4度のリーグ優勝と1度の日本一にチームを引っ張っていった功績を認めながらも、
「自分の思い通りに動かない奴は試合に出さない」という落合さんのやり方を認めたくないとしています。
「これではチームは強くなるかもしれないけど革新は望めない。中日OBとしてこれは悲しいことです」と結んでいます。この落合さんのやり方に反発した山﨑さんは、落合さんを反面教師として後輩の指導にあたりました。
『進化・「心」を強くする 折れない心を保ち痛ける』という著書の中で山﨑さんは、
「僕はチーム改革ができるのであれば、なんでも教えたいタイプだ。経験と実績がある自分だからこそ、それをしっかりやるべきだと思っている」
と語っています。
その考えになったのは、落合さんのおかげでもあるとのこと。
「プロ1年目の春季キャンプ、僕は星野監督から『勉強しろ』と落合さんと同部屋にされた。しかし、高卒1年目の若造が落合さんに教えを乞うことなどできず、かといってご本人から何かを指導してくれることは一切なかった」
山﨑さんは自分がそんな思いをしたからこそ、
「自分が伝えられることは誰に対しても伝えていこう」という考えに至ったようです。
ファンから「嫌いな人は?」と聞かれて、「落合さん」とはばかることなく答えた山﨑さんですが、その落合さんの存在がその後の野球人生に大きく影響しているようです。
指導者の仕事
山﨑さんに呼応した言葉というわけではありませんが、落合さんは以前
「好かれるのが俺の仕事ではない」と語ったことがあります。
落合さんの人間学「オレ流」は自分を信じ、選手を信じることで成り立つとしています。
自分の仕事に全力を尽くし、その背中を見せることで、選手にも選手の仕事を全力で取り組ませることができるということです。
「上に立つものは厳しいことを言うが、それに耐えてついていく、腹が立っても大嫌いでも、ついていってもらえたら上に立つものとしての価値がある」
とも言っています。
また落合さんは、「結果を出すこと以外、考えないしやらない」とある講演会で語っています。
落合さんは社会人野球を経ての入団で、25歳という遅いプロ入りでした。
そんな落合さんにとって、プロの世界はとても厳しいものに思えました。
「ドラ1は球団が5年くらいは面倒をみてくれるけど、ドラ3はそうはいかない。自分のために野球をしなければならなかった」
と落合さんは語っています。
落合さんがドラフト3位での入団だったのに対し、山﨑さんはドラフト2位でのプロ入りでした。
山﨑さんと落合さんの確執には、そんな背景もあったのかもしれません。
現役の時、後輩の面倒をあまりみなかったことで
「あいつは面倒見が悪い」と言われたこともあるという落合さんですが、いつも自分の野球を全身全霊でやっていただけだったのかもしれません。
人間性の好き嫌いという問題よりも、今回の2人の確執は野球に対する考え方の違いということなのでしょう。
落合さんを「嫌いだ」という山﨑さんも、同じ野球人として落合さんに尊敬の念を抱いていたことは確かだと思います。
まとめ
当時中日ドラゴンズの監督だった星野仙一さんから、
「勉強しろ」と言われたことで、落合博満さんと同部屋になった山﨑武司さん。
しかし、落合さんは山﨑さんに対して何も教えてくれませんでした。
そんな経験から山﨑さんは、当初は先輩から生意気だと思われていたものの、
「自分が伝えられることは誰に対しても伝えていこう」と後輩の指導に熱心になっていきました。
現在でも、少年野球の現場などに出向いて、子供たちに熱心に指導したりしているようです。
野球に対する考え方は人それぞれ。
その中で、落合さんと山﨑さんという2人の強打者の間では、どうしても埋まらない溝があったようです。