広岡達朗「坂本勇人は下手くそ」本当のセリーグ最高遊撃手とは?
史上最年少で2,000本安打を達成した他、21年に開催された東京オリンピックでは、遊撃手のレギュラーとして日本の金メダルに大きく貢献した坂本勇人選手。
もはや現役どころか、プロ野球の歴史の中でも最強のショートストップと思えるような、球界を代表する選手となりましたが、そんな坂本選手の守備を
「下手くそだ」と一刀両断した人物がいました。
その人物とは、坂本選手と同じようにジャイアンツで遊撃手を務めていた、22年現在90歳であるプロ野球界の大御所、広岡達朗さんです。
広岡さんは早稲田大学から54年にジャイアンツへ入団。
あの王貞治さんや長嶋茂雄さんらと共に、読売巨人軍の黄金時代を支えたメンバーの1人です。
引退後は広島とヤクルトのコーチを歴任し、76年のシーズン途中にヤクルトスワローズの監督に就任。
78年には球団初のリーグ制覇を成し遂げ、さらに日本一にも導きました。
82年には西武ライオンズの監督に就任し、1年目から2年連続日本一を達成。
4年間で3度優勝するという偉業を残して、85年限りで退任。
92年に野球殿堂入りとなりました。
広岡さんもその経歴を見れば、坂本選手になんら引けを取らない偉大なプロ野球選手であることは間違いありません。
しかし、それにしてもなぜ坂本選手ほどの名手に対し、
「下手くそ」などと辛口批判したのでしょうか?
坂本勇人が下手な理由
広岡さんは坂本選手について、
「守備は下手くそ。私が記録員なら全部エラーにします」とある野球雑誌のコラムで発言しています。
実際にこの発言があったのは19年ごろなのですが、この頃の坂本選手は開幕から34試合連続出塁を記録し、
王貞治さんの持つ球団記録を塗り替えるという偉業を成し遂げています。
それについて広岡さんは、
「4割打っても不思議ではないくらいだ」と述べています。
しかしそれでも、坂本選手の守備については厳しく酷評。
「坂本の守備、あれは捕れる球を捕っているだけでしょ。ちょっとでもこの打球は捕れないなと思ったら捕りにいかない。これはイジメじゃなくて彼のために言っています。」
そう語る広岡さんもまた、冒頭でご紹介した通りジャイアンツでショートを務めた人物でした。
そして広岡さんは、坂本選手の守備が下手であることを示す基準として、1シーズンの失策数をあげています。
坂本選手は16年に16失策を記録した後、それ以降は17年と18年が9、19年は12の失策を記録しています。
一方の広岡さんは現役時代、60年と65年のシーズンの失策数が8と堅い守備を見せていたようですが、一方でその前後の年にはシーズンで20以上の失策を記録したこともありました。
しかし広岡さんは現役時代を振り返り、
「当時は土のグラウンドでイレギュラーするのが当然だったから、今の選手が人工芝で15も16もエラーするのはおかしい。坂本は打つことばかりに気をとられ、守備の集中力が欠けているのではないか。」
と語っています。
そして、「あれをエラーにされたらたまらんと考えるようになる。そうやって真剣に追いかければ彼はもっとうまくなる。」と坂本選手に激励を送るのでした。
ちなみに、17年頃にも坂本選手に辛口な評価を下していましたが、では逆に誰が良い守備をしているのかについては、この年坂本選手より失策数の少なかった横浜DeNAベイスターズの倉本寿彦選手や、ポジションがセカンドと異なる選手ですが、ヤクルトの山田哲人選手のことを高く評価していました。
真の歴代No. 1ショート
長年の活躍を見ていると、坂本選手は現役選手のみならず、プロ野球の歴史上でもNo.1の遊撃手なのではないかと思うところですが、広岡さんに言わせてみればまだまだのようです。
では、広岡さんが思う歴代No.1のショートストップは誰なのでしょうか?
これは彼が常日頃、口癖のように言っていることで、歴代最高の遊撃手は吉田義男さんとのことです。
吉田義男さんは、阪神タイガースのショートを務めていた選手で、巨人の広岡さんと阪神の吉田さん、いわばライバルとも言える間柄です。
そんな中で吉田さんは現役時代、「牛若丸」と称され、華麗かつ堅実な守備で知られた守備の達人でした。
広岡さんは常日頃、吉田選手の守備には敵わないと言っています。
そんな吉田さんは、89〜96年まで、野球のフランス代表監督を務めた経歴もあります。
広岡さんが国内で監督として輝かしい功績を残していた中、吉田さんは海外の、しかもそれほど野球が盛り上がっていないヨーロッパで監督を務めていたのでした。
徹底した管理野球
広岡達朗さんを語るうえで欠かせない事といえば、西武ライオンズの監督時代でしょう。
広岡監督は西武ライオンズに黄金時代をもたらしましたが、徹底した管理野球を標榜していたことでも有名です。
まず選手の役割分担を決め、それぞれの役割を完璧に果たすよう教育し、鍛え上げる。
そして、綿密にスケジュールを組んで選手を管理。
夜遊びや度を超えた飲酒を禁止し、食事のメニューまで規制。
特に注目すべきは、
「私の野球スタイルは、海軍の“軍律”と同じ。上官の命令への絶対服従が当たり前。ファンのため、チームのために自分の生活を賭けて死にもの狂いで戦うのに、『監督の指示に従えません』では勝てない」
という発言でしょう。
他にも、
「万全のコンディションでプレーするためには当然のこと」
「プロの選手にとって、グラウンドが全て。いい加減な体調でグラウンドに出てくることは許されない」
と、その管理は選手の私生活にまで及んだようです。
また、キャンプの初日に全選手を前に当時の主力級だった選手に対して、
「給料泥棒」「引き際を考えろ」などと1人ずつ批判したりもしました。
このことから選手の間では、
「アイツの目が節穴だったと証明してやる。絶対優勝してアイツを胴上げして、4回目で全員の手を離して落としてやる」
が合言葉になったそうです。
選手批判の中には、坂本選手にも言っていた「下手くそ」という言葉をも多用していたようです。
このキャンプ初日の選手批判は、このチームはベテランの働きが鍵を握ると考え、ベテランを奮起させればチームの体質が変わるという広岡さんの戦略だったとのこと。
不思議なもので、チームが強くなると指揮官に対する信頼感が芽生えてきたようで、胴上げの時は4回目で落とすという合言葉に反して、皆しっかり広岡さんのことをを受けとめたようです。
まとめ
いかがでしたか?
野球ファンなら多くの人が最高の遊撃手だと考えるであろう坂本勇人選手でしたが、ジャイアンツの黄金時代を支え、監督としても輝かしい成績を残した広岡達朗さんからすれば、彼はまだまだ伸び代があるようです。
22年シーズンは、開幕直前に左脇腹の筋損傷で開幕戦に出場できませんでしたが、開幕2日後には即スタメンに復帰し、4打数4安打と大暴れ。
これによって通算172度目の猛打賞を記録。
王貞治さんを抜いて歴代単独8位となりました。
坂本選手の、今後のさらなる活躍に期待したいですね。