赤星憲広が星野仙一から受けた、たった一度の鉄拳制裁がこちら・・・
18年1月、すい臓がんのためこの世を去った星野仙一さん。
現役時代は中日のエースや抑えとして活躍し、「巨人キラー」の異名を持っていました。
特に、巨人のV9時代を止めた試合は有名でしょう。
引退後は中日、阪神、楽天の3つの球団をリーグ優勝に導き、楽天では日本一にも輝きました。
そして、その闘志あふれる姿から「闘将」と呼ばれるほど勝負に熱く、誰よりも選手のことを考えている監督だったとも言われます。
そんな星野さんですが、「闘将」という異名からもわかるように、今の時代では考えられないような鉄拳制裁などを用いて、選手たちに喝をいれることなどもありました。
その鉄拳制裁は、あの赤星憲広さんにも及んでいたようです。
2人の抱擁
赤星憲広さんといえば「レッドスター」の異名で、阪神一筋で大活躍をした選手です。
入団1年目からセ・リーグ記録となる5年連続盗塁王を獲得し、3年連続60盗塁達成など、足を活かしたプレーが魅力的でした。
一方で、打率.300を5度達成するなど、バッティングの面でも素晴らしい選手でした。
しかし、脊髄損傷の大ケガが原因で、9年で現役生活を終えています。
まさに、彗星のごとく活躍した選手でした。
そんな赤星さんと星野さんの有名なエピソードといえば、阪神がリーグ優勝を決めた日に、赤星さんが打ったサヨナラヒットの場面でしょう。
03年9月15日、阪神はマジックを2として広島戦を迎えました。
阪神が勝ち、優勝争いをしていたヤクルトが負ければ優勝が決まる、という大事な日でした。
この大事な試合でサヨナラヒットを打ったのが赤星さんです。
赤星さんは打席に入る前、星野さんからネクストバッターサークルで声をかけられます。
「周りをよく見てみろ。外野があんなに前に守っててナメられとるやろ。ヒットゾーンだらけや。お前で決めてこい」
と声をかけられたそうで、赤星さんはこのことを一生忘れないと振り返っています。
星野さんの言葉で、緊張が取れて冷静になった赤星憲広さんは、相手投手のカーブを見事に捉え、右翼手の頭上を超えるサヨナラヒットを打ちました。
この時、星野さんは飛び跳ねて喜んでいる赤星さんに近づいて、力いっぱい抱きしめていました。
この場面について赤星さんは、
「人生で一番強く抱きしめられた。左の二の腕に内出血して痕が残っていた」と振り返っています。
その後ヤクルトが横浜に敗れたことで、阪神の18年ぶりのリーグ優勝が決定しました。
鉄拳制裁
赤星さんは、基本的には星野さんに怒られることはなかったそうです。
しかしそんな中で、一度だけ鉄拳制裁をくらったことがあります。
それは、03年のある試合でのこと。
この年、主に2番を打っていた赤星さんは
「バントのサインを出さないから。基本、一番の今岡が出ても、最悪お前が進塁打でも、引っ張ってでもいいから入れ替われ」
と言われており、バントのサインがまったく出ていませんでした。
ですが、とある試合でバントのサインが出ます。
赤星さんは久しぶりすぎたために緊張してしまい、バントを失敗してしまいます。
そしてベンチに戻った際、星野さんにぼそっと「出した俺が悪いんだよ」と言われたそうです。
それを聞いた赤星さんは、「ヤバい、なんとか取り返さないと」と思いました。
そして、3打席目に全く同じシチュエーションで打席が回ってきました。
その時、バントのサインは出ていませんでしたが、赤星さんは1打席目のバントの失敗を取り返そうと勝手にバントをやります。
結果としてバントは成功し、ランナーは進みました。
そして、続く金本知憲選手がタイムリーを放ち、チームに得点が入りました。
なので赤星さんは、「よかったよかった」と思いベンチ裏へ。
しかし、星野監督が通り過ぎた瞬間に
「テメェ!勝手なことすんじゃねぇこの野郎!」と殴られたそうです。
「こっちは一点を取りに行こうなんて思っていない。2点、3点取ろうと思って、お前に打てと打席に立たせてるのに、何勝手なことしてんだ。そんな気の弱いヤツは使わん。いつも出さないバントのサインを出したのは俺のミスなんや。それなのに…。逃げるようなヤツはいらん!」
このようなお叱りを受けたそうです。
その後星野さんは、裏にあったバットケースや灰皿などをボコボコに蹴り倒していたそうです。
鉄拳制裁が良いか悪いかはさておき、この時の
「逃げるようなヤツはいらん!」というセリフは闘将・星野監督の熱い想いが詰まっていると思います。
自分のミスを認め、決して選手には弱腰の姿勢を許さない。
そんな星野監督だったからこそ、阪神を18年ぶりの優勝に導くことができたのだと思います。
赤星さんによると、鉄拳制裁をくらった夜は眠ることができず、そのまま次の日の朝を迎えたそうです。
ですが、その日の試合では大活躍。
すると星野監督は、「お前は怒った方が良いのかもな」と笑顔で言ってきました。
赤星さんは、
「その時の笑顔が忘れられなくって…。振り返れば、やっぱり優しい方でした」
と、涙をこらえながら当時を振り返っています。
やはり、厳しさの裏に優しさがあったようですね。
だからこそ選手は星野監督を信じて、最後まで戦い抜いたのだと思います。
まとめ
いかがでしたか?
暴力による指導は、できることなら無くなって欲しいところですが、星野仙一さんのようなガッツ溢れる指導は、
「本気である」ということも伝わってきます。
そんな姿勢が選手たちの心を動かし、モチベーションを高め、チームの勝利に繋がったのだと思います。
星野さんの愛した野球が、これからもより多くの人に愛される存在になって欲しいですね。
そして赤星さんの方は、最近になってめでたく結婚を発表しました。
星野さんの意志を受け継いで、今後のさらなる活躍、できればまたユニフォームを着て今度は指導者として、プロ野球の現場に復帰することに期待したいですね。