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亀井善行がイチローの不振っぷりを見てとった行動とは?「涙が出そうだった」

   

2009年、野球世界一の国を決める大会、WBCが開催され、そのメンバーにイチロー選手と亀井善行選手が選ばれました。

亀井選手はこの時選出されたことについて、2021年の引退会見において

「正直今だから言えますけど選ばれたくなかった」と語っております。

この大会で、日本は前回大会に続いて優勝し、2連覇を達成しました。

この大会と言えば、決勝の韓国戦でイチロー選手が優勝を決める決定打を打ったシーンが印象的ですが、実はこの大会イチロー選手は不振に喘いでいました。

そんなイチロー選手の不振を脱却させた人物こそ、この大会でチームメイトとなった亀井選手と言っても過言ではなかったのです。

亀井選手がいかにしてイチロー選手の不振を脱却させたのか、WBCの裏側をご紹介します。

イチローの控え

2009年の第2回WBCにおいて、亀井選手がメンバーに選出されたのは予想外だったと言えるでしょう。

当時の亀井選手は、まだ所属しているジャイアンツでも絶対的レギュラーという存在ではありませんでした。

2008年の亀井選手は96試合に出場し、打率.268、HR5本という成績でした。

そんな亀井選手が選出されたことに、世間では批判殺到。

さらにこの時の日本代表の監督が、亀井選手の所属していたジャイアンツで監督を務めたこともある原辰徳さんだったことから、いわゆるコネのような形で選出されたのでは、とも言われていました。

亀井選手自身も、

「実績のない自分が行くのはツラかったですし、実績のある人が落選していくのを見てもまたツラい思いをしました」

と語っています。

しかしこの選出は、原監督が熟慮に熟慮を重ねたうえでの結果だったのです。

WBCは、プロ野球が開幕する直前の3月に開催されました。

この時期はプロ野球選手たちにとって、最後の調整を進めていく大事な時期でもあります。

そんな中で代表メンバーに選ばれると、例年よりも早めに身体を作る必要があります。

また、代表チームの中でしか練習ができなくなるので、練習不足でシーズンに臨む覚悟をしなければなりませんでした。

レギュラーとして代表の試合に出る選手はまだ良いですが、普段チームでレギュラーをはっている選手が代表の試合で控えとなった場合、試合に出られないうえに思うように練習もできていない状態で、チームではレギュラーとしてシーズンに臨まなければならなくなるのです。

特に大変なのが、イチロー選手の控えでした。

原監督はイチロー選手の控えという点において、このように語っています。

「基本的にイチローは交代させる場がない。なので、イチローの控えになる選手は多分約1ヶ月の間、試合にもほとんど出られないし練習時間の制約も多い。そういう役回りになることは他のチームのレギュラー選手も嫌がったし、それを無理やり呼ぶことはできないのもわかっていた」

だからこそ、原監督は亀井選手に白羽の矢を立てたのです。

「亀井は守れる選手だが、バッティングの方ではイチローに代打を送ることはない。イチローを休ませるとしたら最後の守備。ならばきっちり守れる亀井が最善の選択だと思った。」

日本代表に選ばれたという名誉は得られるものの、代わりに自分を捨てて、イチロー選手に何かあった場合に備えてベンチに座っている、という厳しい役割を亀井選手は甘んじて受け入れたのです。

亀井選手は当時を振り返って、

「試合では貢献できないかもしれないけど、選ばれたからには選ばれなかった人たちのためにも、声出しだったり雑用だったりで貢献したいと思って行きました」

と語りました。

この思いが、イチロー選手にとって思わぬ助けとなるのです。

イチロースタイル

そうして始まった2009年のWBC。

結果的に日本は2連覇を果たしたものの、イチロー選手は深刻な不振に喘いでいました。

決勝では優勝を決めるタイムリーを放ったものの、決勝前の打撃成績は打率.211、HR0本、3打点、OPS.500と、普段のイチロー選手からは考えられないような不調ぶりでした。

普段なら負けた試合でもインタビューに答えるイチロー選手が、この時ばかりは記者の前を素通りしたことも、その深刻さを物語っていました。

そんな中、敗者復活戦となるキューバ戦の試合前の練習で、イチロー選手はふと違和感を覚えました。

最初はその違和感の正体が分かりませんでしたが、その正体はチームメイトの足元にありました。

野球のユニフォームのズボンは、高校野球や大学野球などのアマチュアでは、ズボンの裾を上げてストッキングが見える、いわゆるオールドスタイルが一般的です。

一方で、プロになると裾を上げないストレートスタイルで履く選手が多くなります。

そんな中でイチロー選手は、プロになってからもオールドスタイルを貫いていました。

不振に喘いでいたイチロー選手がふと他の選手たちの足元を見てみると、チーム全員がイチロー選手のようにオールドスタイルで練習していたのです。

ただ1人彼の年上であり、チーム最年長だった稲葉篤紀選手までもがオールドスタイルにしていました。

これを見たイチロー選手は、

「これがチームなんだ。チームのメンバーの想いなんだ」と感動したといいます。

このアイデアは、他でもないイチロー選手の控えという立場だった、亀井選手が提案したものでした。

「自分は試合に出られなくても、イチロー選手にアドバイスはできなくても、不振に喘ぐイチロー選手に何かできることはないか」

と考えた亀井選手は、内川聖一選手らに相談しました。

もちろん、裾をあげただけでイチロー選手が好調になるとは思ってはいませんでした。

しかし、「それでチームが、イチローが変わるなら」と、稲葉選手は快く亀井選手の提案に賛同したのです。

イチロー選手はチームの無言の思いを受け止め、チームの素晴らしさを感じたといいます。

侍ジャパンの2連覇は、こうしたチームの団結がもたらした勝利なのでした。

亀井選手は、決勝では出番がありませんでしたが、大いにチームに貢献したのです。

まとめ

いかがでしたか?

原辰徳監督からイチロー選手の控えという、開幕直前の時期に難しい役割を任され、外部からはその選出に批判が殺到していた中、どんな形でも良いからチームに貢献しようと思っていた中で考えたのが、イチロースタイルによる無言のメッセージでした。

亀井選手のアイデアや、それに賛同したチームメイトの想いがなければ、イチロー選手のあの伝説的な決勝タイムリーは生まれなかったかもしれません。

その後、亀井選手はジャイアンツ一筋で17年間プレーし続け、ジャイアンツを代表する選手になりました。

そして現在、亀井さんはジャイアンツの一軍外野守備走塁コーチを務めております。

偉大な打者の背中を支え、世界の頂点を経験した亀井コーチの指導によって、イチロー選手のような偉大な打者が生まれることに期待したいですね。

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