イチロー、斎藤佑樹の欠点を見抜いていた!「言うだけ言っておきながら姿勢が見えてこない」
2022/04/12
21年限りで現役を引退した斎藤佑樹さん。
4月4日、あるラジオ番組に出演し、自身の本当の性格や引退についてなどを語りました。
甲子園や早稲田大学での活躍を経て、ハンカチ王子として社会現象を巻き起こし、鳴り物入りでプロ入りした斎藤さんでしたが、自身曰くみんな思っているような人間ではないと語ります。
そして、そんな彼の本当の性格を見抜いた人物が3人ほどいました。
その中には、あのイチロー選手も含まれているのです。
実は接点があった斎藤さんとイチローさん。
イチローさんはハンカチ王子について、どのように思っていたのでしょうか?
適当な人間?
ニッポン放送の『垣花正 あなたとハッピー!』と言うラジオ番組に、元プロ野球選手の斎藤佑樹さんがゲスト出演しました。
その中で斎藤さんは現役時代に、現在斎藤さんが所属していた日本ハムファイターズで一軍のピッチングコーチを担当している、武田勝さんに色々なことを相談していたことを明かしました。
そして、
「僕は結構適当な人間でいろいろなことを大雑把にやっちゃうタイプなんですよね」
と自身について告白。
それを最初に指摘したのも、武田ピッチングコーチだったそうです。
彼は初めて斎藤投手を見た時から、それを見抜いていたといいます。
「佑ちゃん、こっちのタイプでしょ?」
と武田ピッチングコーチに言われた斎藤投手は、最初はそれがどういう意味か分かりませんでした。
しかし、
「そっち側の人間じゃなくてこっち側の人間でしょ?俺と一緒のタイプだよ、あなたは」
と言われたことで、「勝さんもそういうタイプなんですか?」と距離が縮まった思いがしたとのこと。
「こっち側の人間」という表現をなんとなく理解できた斎藤さんは、
「そうなんですよ勝さん。僕は皆さんが思っているほどの人間ではないんですっていつも言いたくて。それを勝さんは『早く暴露しようぜ』というんですけど、暴露することでもないんですよと。そんな感じでいつもやりとりはしていました」
と振り返っていました。
本当の性格
06年の夏の甲子園、早稲田実業で3年エースだった斎藤佑樹投手は決勝再試合までもつれ込んだ末に、田中将大投手率いる駒大苫小牧を下して全国制覇を達成しました。
青いハンカチで汗を拭う姿に注目が集まり、いつしか「ハンカチ王子」という愛称で呼ばれるようにもなりました。
ハンカチ王子の人気は凄まじく、野球を知らない女子さえもハンカチ王子の後をゾロゾロついていくほどで、社会現象とまでなりました。
斎藤投手はその優しそうな顔立ちから、「王子」と言う名がよく似合う好青年でした。
「真面目」「優等生」という言葉がぴったりな斎藤投手でしたが、実は
「超短気な性格」であったことを過去に斎藤さん自身が明かしています。
彼は自身の性格について、
「超短気でキレやすい。気持ちがあっちこっちいって、押さえるのが難しいと思います」
と分析し、エースとなった高校2年の時には、
「僕自身、お山の大将で自信満々だった」と当時を回想しています。
転機となったのは高校2年の夏でした。
「変わったのは日大三高に負けてから。エラーされたり、ストライクが入らなかったりすると、もう1人でキレて使い物にならなかった。これじゃダメだと思って何も出さないようにした」
と、ハンカチ王子らしからぬ性格を語りました。
斎藤投手は早稲田大学に進学後も、主将としてチームを優勝に導くなど目覚ましい活躍を続け、卒業後はドラフト1位で日本ハムに入団しました。
その頃の斎藤投手は、メジャーリーグ挑戦への強い願望も持っていました。
そんな斎藤さんはプロ1年目の11年、あのイチロー選手と接点がありました。
同じマネジメント会社所属というツテで、春季キャンプ前にイチロー選手と合同自主トレを行うことができたのです。
しかしその時、イチロー選手は斎藤投手のハングリー精神のなさに愕然としたといいます。
「言うだけ言っておきながら、肝心の実行力がないばかりか、それを実現させる姿勢が見えてこない」
と斎藤投手に嫌気を覚え、距離を置いたといいます。
このことは、日ハム時代にチームメイトだったダルビッシュ有投手も見抜いたとされています。
よく言えばのんびりとした性格ゆえに、斎藤投手はせっかくのチャンスを逃してしまっていたようです。
斎藤佑樹の野球人生
先ほどご紹介したゲスト出演したラジオ番組で、引退についての話にも及びました。
引退に関する相談は、日ハム時代によく相談をしていたという武田ピッチングコーチはおろか、誰にもしなかったそうです。
「それは誰にもしていなくて。勝さんに報告したのも発表した後に。『すいません、遅くなっちゃいましたけど、引退します』っていうことは報告しました」
引退を自分1人で決めた背景には、
「意地もあるんでしょうけど、誰かの意見を聞いてしまうと、また迷ってしまいそうだなと思った」
と語っています。
「正直自分の体が思うように動かなかったですし、もうこれ以上プロとして体を動かして投げるって無理だと思ったので、なんかそこで誰かに相談したところで僕の考えは変わらないだろうな」
そんな気持ちから、誰にも相談することなく引退を決めたという斎藤さん。
「僕の野球人生は凄く幸せでした。『成績は?』って言われるとすいませんでしたなんですけど、人との出会いとか含めたら本当に楽しかった」
と、自身のプロ野球選手としての人生を結論づけました。
プロ入りしてからは、期待されたほどの成績は残せなかったかもしれない斎藤さん。
しかし最初に、
「こっち側の人間でしょ?俺と同じタイプだよ」
と言ってくれた武田ピッチングコーチには、随分助けられたのではないでしょうか?
そして、あの甲子園から数えて15年間、斎藤佑樹を演じ続けた自分から解放されたのかもしれません。
まとめ
06年の夏の甲子園の激闘でチームに優勝をもたらした「ハンカチ王子」こと斎藤佑樹投手は、世間のハンカチフィーバーのなかで最も輝いていました。
早稲田大学に進学後もその輝きは衰えを見せず、スター選手の道を爆進するものと思われました。
しかし、プロ入り後はケガなどにも悩まされ、思うような成績は残せませんでした。
あの夏の甲子園のライバル、駒大苫小牧の田中将大投手に水をあけられ、後輩である大谷翔平選手にさえも先を越されてしまう現実に、一度は夢見たメジャーリーグへの道は遠のくばかりでした。
斎藤投手は、優等生のイメージの中にその苛立ちを隠していたのかもしれません。
「僕は皆さんが思っているような人間ではないんです」
そしてそれは、実はイチローさんやダルビッシュ投手にも、見抜かれてしまっていたようです。
斎藤投手は自分についた「ハンカチ王子」のイメージに、いつもそう言いたかったといいます。
「本当はもっとおおざっぱな性格で」
それを早くから見抜いた先輩が、日ハムの1軍コーチをしている武田勝さんでした。
「佑ちゃん、こっちのタイプでしょ?」
そう見抜かれたことで、斎藤投手はホッとしたことでしょう。
以来武田ピッチングコーチには、いろいろと相談する仲になったといいます。
ですが、引退を決断をする時にはそんな武田氏にも相談はしなかったといいます。
誰にも相談せず、ひとりで決断したのでした。
「もうこれ以上プロとして体を動かして投げるって無理だと思った」
と引退を決断した理由を語った斎藤さんでしたが、
「その野球人生は幸せだった」とも語っています。
栄光の甲子園から15年。
その野球人生を終えた斎藤さんは「ハンカチ王子」と別れを告げて、本来の自分の人生を歩み始めたのでしょう。