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秋山幸二が見抜いた秋山翔吾の欠点「チームが勝てばいいなんて考えていてはダメ」

   

10年にドラフト3位で西武ライオンズに入団し、15年には日本記録のシーズン216安打を達成。

首位打者1回、最多安打4回を獲得するなど、目覚ましい活躍ぶりを見せた秋山翔吾選手。

その活躍は打撃だけにとどまらず、守備でもゴールデングラブ賞を6度受賞し、日本代表にも選出されるなど、輝かしい経歴を持っています。

しかし一方で、「メジャーに一番近い男」と称されたライオンズのOB、秋山幸二さんは秋山翔吾選手の欠点を見抜いていたといいます。

同じ西武ライオンズで外野を務め、奇しくも同じ「秋山」と言う苗字同士。

かたやメジャーに一番近い男と称され、かたや夢のメジャーへと羽ばたいた2人の秋山選手。

日本が誇る安打製造機の欠点とは、何なのでしょうか?

強すぎる責任感

18年オフ、リーグ優勝企画で秋山翔吾選手は野球評論家として活躍し、ソフトバンクホークスの監督を務めて日本一にも輝いたことがある、西武OBの秋山幸二さんと対談しました。

秋山翔吾選手はそれまでの自身のプレースタイルについて、

「チームが勝てばいいと思って野球をやってきた」と説明しました。

すると秋山幸二さんは、

「お前は責任感が強すぎるよ。チームの結果は監督・コーチが考える。自分の結果を求めて一生懸命やればいい」とアドバイス。

「チームのため」という意識が誰よりも強い秋山翔吾選手の姿勢が、西武のリーグ連覇にも繋がったことには間違いはないでしょう。

しかし、時には貪欲に自身の成績を追い求めることも大切だと、秋山幸二さんは諭したのです。

ちょうどその頃、秋山翔吾選手はメジャーリーグへの夢を抱いていました。

事実その翌年、19年10月には海外FA権を行使してメジャーに挑戦する意向を示しています。

また、この年の11月に行われた国際大会「プレミア12」のメンバーにも選ばれていた秋山翔吾選手は、代表活動中の立場を考慮しながらの会見だったといいます。

メジャーに挑戦するのならなおのこと、この秋山幸二さんの言葉は効いてきたことでしょう。

自身の成績を貪欲なくらいに追い続けることが一流選手となる道だと、この時西武の大先輩に教わった秋山翔吾選手でした。

メジャー挑戦

海外FA権を行使してメジャー挑戦を目指していた秋山翔吾選手は、19年12月31日にレッズと契約合意に達しました。

3年契約で総額2,000万ドル、日本円にしておよそ22億円の大型契約でした。

レッズはメジャー30球団の中で、唯一日本人選手がプレーしたことのないいわば未開の地です。

しかし秋山選手が契約したことにより、日本人選手がメジャー30球団を制覇したことになりました。

このチームでの背番号は4になりました。

複数のメジャー球団が興味を示していた中で、その中でレッズを選んだことについて、秋山選手自身はこのように語っています。

「日本人がメジャーリーガーとして在籍したことがないというのが魅力でしたし、ウィンターミーティングで素晴らしいプレゼンテーションをしてもらった。このチームで戦いたいという思いが強くなりました」

レッズ退団

日本人のメジャー30球団制覇の立役者となった秋山選手。

日本代表に選ばれ、ゴールデングラブ賞を何度も受賞。

そして何よりシーズン最多安打記録を持つ、いわばイチロー選手を超えたと言っても良い秋山選手が、メジャーでどのように活躍するのか期待されましたが、現実は厳しいものとなりました。

契約最終年となった22年、開幕を前にしてレッズは秋山選手の退団を発表したのです。

西武在籍時にはシーズン最多安打のタイトルを4度獲得し、17年には打率.322で首位打者を獲得するなど、日本球界を代表するヒットメーカーでした。

19年には5年連続フルイニング出場を達成。

14年から継続中のフルイニング出場を739に更新し、パ・リーグ記録を樹立し、NPB歴代単独2位になりました。

しかしそんな秋山選手をもってしても、メジャーでは思うような活躍ができませんでした。

1年目の20年は54試合出場で打率.245、0HR、9打点と打撃不振に苦しみました。

それでも9月はチーム最高の月間打率.317、出塁率.459を記録するなど、意地を見せていた秋山翔吾選手でした。

ですが21年は度重なる故障のため、88試合出場で打率.204、0HR、12打点にとどまりました。

22年はまた、オープン戦で7試合に出場して22打数4安打、打率.182と、秋山選手としては悔しい結果となりました。

夢を抱いてメジャーリーグに挑戦した秋山選手でしたが、結果を残せずあと1年の契約期間を残しての退団となりました。

しかし、秋山選手の野球人生はまだ終わったわけではありません。

秋山選手のレッズ退団の報をうけ、にわかに日本プロ野球界が色めきたちました。

秋山選手がメジャーに移籍してからの西武は20年こそ3位になったものの、21年は42年ぶりの最下位に沈むなど、苦戦を強いられています。

そこで、秋山選手の「西武復帰待望論」が沸き起こっているのです。

また、ソフトバンクホークスも秋山選手獲得に前向きな意向を示しています。

ソフトバンクは主軸である栗原陸矢選手がケガで長期離脱を余儀なくされるなど、左翼のレギュラーを固定できていないという泣き所があります。

その他、外野の層が薄いといわれる球団も秋山選手獲得に身を乗りだしているようです。

メジャー復帰を目指すか、はたまた日本球界に戻るのか、秋山選手の去就が注目されます。

秋山選手は球団公式ツイッターの方で、

「シンシナティで過ごした時間、出逢ったスタッフ、選手の方々にとても感謝しています。また、どこかでプレーする姿を見せられる時まで準備をしたいと思います」とコメントしました。

まとめ

「やきゅうせんしゅになりたいです。いちろうみたいにひっとをうちたいです」

2歳で野球を始めた秋山翔吾選手は、幼稚園の卒園文集にこう記しました。

当時オリックスに在籍していたイチロー選手が、200本安打を達成したのを見て書いたものだといいます。

もちろんその頃はメジャーへの憧れはなく、

「ただプロ野球選手になりたいと思っていただけだった」と秋山選手は述懐しています。

しかしその後、埼玉西武ライオンズにドラフト3位で入団すると、新人外野手としては岡村隆則選手以来となる30年ぶりの開幕スタメンを迎え、「9番・右翼手」で出場。

翌日の2戦目にはプロ初安打初打点を記録します。

15年には63試合目で100安打を打ち、94年のイチロー選手、64年の広瀬叔功選手に次ぐ史上3番目の記録を樹立しました。

その秋山選手がメジャーを意識し始めたのは、17年のWBCに日本代表として出場した頃からでした。

「最高峰といわれるメジャーを意識した。どれくらい厳しい世界でやれるか知りたい。そこで活躍したいという思いが強くなった」

沸々と湧き上がる思いに、秋山選手は31歳にしてメジャーへの挑戦を果たしたのです。それは東京五輪出場を断念までして選んだ道でした。

「自分のレベルがどれだけ通用するのか知りたい」

そう決断して、まだ日本人選手が足を踏み入れたことのないレッズへと入団。

思うような結果が残せず退団となった秋山翔吾選手ですが、まだメジャーへの挑戦が終わったわけではありません。

他球団への移籍も考えられます。

また、日本での活躍の場も設けられています。

秋山翔吾選手の動向が注目されますね。

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