野村克也が伊藤智仁に25年越しに漏らした後悔と謝罪とは?
2022/04/17
野村克也さんがヤクルトスワローズの監督を務めていた時、1人の天才と謳われた大投手がいました。
その投手は、140km/h台で真横に滑るように大きく曲がる高速スライダーを武器に三振の山を築き、
その投手が新人の時にちょうど現役最終年だった捕手の八重樫幸雄さん曰く、受けていて命の危険を感じるほどだったとか。
その投手の名は、伊藤智仁さん。
現在は、在籍していたヤクルトの一軍投手コーチを務めています。
そんな伊藤投手コーチに対し、野村さんは生前25年越しに後悔と謝罪を述べていたのです。
伊藤智仁
伊藤投手は93年、当時野村さんが監督を務めていたヤクルトにドラフト1位で入団しました。
冒頭でご紹介したような高速スライダーを武器に、1年目からオールスター前までの時点で7勝2敗、防御率0.91、そして平均奪三振が1試合あたり10個以上という驚異的な活躍。
同年6月9日の巨人戦、16奪三振をマークしながら9回、篠塚和典選手にサヨナラホームランを浴びた試合は印象深い人も多いでしょう。
しかし伊藤投手の現役生活は、大きな怪我に泣かされた人生でもありました。
同年7月、伊藤投手の右肘にただならぬ痛みが走り、検査の結果、医師から右肘靱帯の損傷と診断されました。
怪我の原因は、投球過多によるものでした。
伊藤投手は2ヶ月半で、実に1,733球投じていました。
伊藤投手は先発を務めていましたが、日本のプロ野球の場合先発投手は、1試合投げたら大体中6日空けて次の登板になることが一般的です。
そして、大体100球〜120球が交代の目処とされています。
まだ1年目のルーキーというのは、中6日のローテーションをこなすのも1試合に120球近く投げるのも大変だとされます。
それでいながら、2ヶ月半で投じた球数の合計が1,733球。
仮に伊藤投手が中6日のローテで投げていたと仮定した場合、2ヶ月半の間に大体10試合くらいに登板したと計算できます。
そうした場合、大体1試合あたり170球以上投げていたことになるのです。
ルーキーであろうとそうでなかろうと、明らかな投げすぎと考えられるでしょう。
プロの世界に飛び込んで、わずか2ヶ月半の時に起きた悲劇でした。
この時についてご本人は、
「リリースの瞬間、肘に電気が走ったような。表現できないけど、痛いという感覚よりも違和感」
と振り返っています。
「ルーキーだし信頼されないといけない。実績を作らないといけない。少し休めばまた投げられる」
と考えていたそうです。
しかし後に腕に力が入らなくなり、医者からは命の危険をも指摘されたとのこと。
ノムさんの後悔
18年、『消えた天才 一流アスリートが勝てなかった人大追跡』と言う番組に伊藤投手コーチが出演。
そこで25年ぶりに、野村克也さんと対談しました。
ヤクルトの二軍球場で野村さんを見つけた時、伊藤投手コーチは緊張した面持ちでベンチへ向かいました。
再会後互いにあいさつを交わしたものの、2人きりでの会話は初めてということもあり、しばらく沈黙が続きました。
そんな中、野村元監督が発した伊藤投手への「感謝」の一言が、雰囲気を和ませたのです。
「伊藤さんのおかげで、優勝監督にもなれた。日本一も味わわせてもらった。伊藤様さまだよ」
野村元監督はさらに、「結果的にはドラフトで松井秀喜を獲らずに伊藤で大正解だった」と強調。
一方の伊藤投手が、
「ヤクルトのスカウトとは会ったことなかったんで、当日指名されてビックリしました」
と明かすと、野村元監督は「それは失礼しました」と笑顔で頭を下げました。
そして、野村元監督が当時まだ新人だった伊藤投手を、肘の靭帯が損傷するまで酷使したことについて触れました。
「責任は俺かなとすごく思っていた。使いすぎたかな…」と後悔の言葉を並べ、
「すごい申し訳ない。それだけは謝りたい。間違いなく俺以外の監督の下なら、記録は絶対に残しているよ。俺が邪魔したみたいだ。申し訳ない」と後悔の念を伝えました。野村元監督の謝罪にしばらく言葉が出ない伊藤投手でしたが、スタッフが「いかがですか」
と話を向けると、「怪我は自分の責任だと思ってますし。そういう風に特に思ってほしくない」
ときっぱり答えました。
「僕はあそこで代えられたら嫌だった。マウンドを降りる方が嫌だった。ピッチャーは先発したら完投するのが当たり前の時代だったんで、何球投げようが関係ないですよね。その試合は先発として最後まで投げるのが使命だと思うんですよね」
と自身の野球に対する思いを述べ、野村元監督の顔を見ながら
「何とも思ってませんから、監督」と言い切ったのです。
この言葉を受け、野村監督は「ありがたい」とほっとした表情を浮かべました。
まとめ
2人の対談の放送後は、厳格なあのノムさんが謝罪したとあって、その反響もかなり大きかったようです。
また、球場に入るまで野村元監督と会うことを知らされていなかった伊藤投手は、
ベンチに座る野村元監督を遠目で確認した瞬間驚き、スタッフに
「言っといてよ」と笑ったそうです。
25年の時を経て野村元監督に謝罪された伊藤投手コーチでしたが、
「そんなこと思ってほしくない」と言ったのは、どんな意味だったのでしょうか?
「怪我したのは自分が悪い」と言っており、投手はマウンドに上がったら投げ切るものだとも言っていました。
なので悔しさはあっても、後悔はしていないという印象を受けました。
プロ野球選手にとって、細く長く生きるのと、短くとも太く鮮烈な印象を残すのはどちらが幸せなのでしょうか?
それはきっと当人にしか分かり得ませんが、本人が納得してさえいたら十分なのだと思います。
現在、伊藤智仁さんはヤクルトの投手コーチを務めています。
新人時代の鮮烈なデビューと、怪我による挫折。
プロ野球の世界で酸いも甘いも経験した伊藤投手コーチが、彼以上の偉大な投手を育てることに期待したいですね。