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槙原寛己の完全試合を前田智徳が猛批判した理由!「そんなんで嬉しいんですか?」

   

22年4月10日、千葉ロッテマリーンズの佐々木朗希投手が完全試合を達成しました。

わずか105球で投げ切りながら三振数は19。

佐々木投手はこの試合で1試合あたりの奪三振数日本記録タイ、連続奪三振の日本新記録となる13者連続奪三振を記録するなど、記録ずくめの偉業を達成しました。

日本プロ野球界における21世紀最初かつ令和最初の完全試合となっています。

その佐々木投手の完全試合より30年前、ミスターパーフェクトと呼ばれる1人の投手が完全試合を達成していました。

ミスターパーフェクト

94年5月18日、福岡ドームで当時ジャイアンツに所属していた槙原寛己さんが、広島カープ相手に平成で唯一となる完全試合を達成しました。

これにより槙原投手は、20世紀最後の完全試合達成者であり、ミスターパーフェクトと呼ばれるようになりました。

槙原投手は5月15日の横浜戦が雨のため2回でノーゲームとなったことから、中2日での登板でした。

前回の調子が良かったイメージをもったまま7回までは速球で、それ以降は変化球主体に切り替えての投球となっていました。

9回に入り、完全試合まであとアウト3つとなると、球場は異様な空気に包まれました。

そして、河田雄祐選手が代打で登場した時。

槙原投手は河田選手が直球に絞るだろうと予想していましたが、捕手である村田真一選手からの

「初球は変化球でどうだ?」と言う提案に対して、

「まっすぐで行く」と答えたそうです。

調子が良く、良いコースに行けば打たれる気がしないと踏んでいたからでした。

しかしながら、2-1から投じた144km/hの速球が、中前に運ばれてしまいました。

完全試合ならずかと思いきや、この年FAで横浜から移籍した俊足中堅手の屋鋪要選手が、懸命に前進してキャッチ。

最後は一邪飛を落合博満選手がつかみ、完全試合達成となりました。

スコアは0-6でジャイアンツの勝利。

102球投げて奪三振は7と言う結果になりました。

佐々木投手が20歳で達成したのに対し、槙原投手は30歳とベテランに差し掛かった年齢での達成でした。

飛車角落ちで完全試合?

槙原投手に完全試合をくらった日、広島の選手たちは厳しい表情で足早に送迎バスに乗り込んでいきました。

緒方孝市選手や金本知憲選手など、主力の面々は口々に「情けない」と言う発言を連発していました。

そんな中で前田智徳選手は後日、新聞記者からの槙原投手の完全試合の感想を聞かれた質問に、

「ワシと江藤さんのいないカープから完全試合して嬉しいかって、槇原さんに言うといてください」

とコメントしています。

実は完全試合をくらった日、当時カープで4番を務めていた江藤智選手が戦線離脱。

さらに3番を打っていた前田選手も前日の試合で左肩の亜脱臼により欠場しており、将棋でいうならば飛車角落ちな状態で試合に臨んでいたのです。


前田智徳選手は、熊本工業から89年にドラフト4位でカープに入団。

あのイチロー選手が天才と認め、プロの打ち方は真似るなと常々口にする落合博満さんが理想のフォームだとたたえた、球界を代表する天才打者です。

槙原投手が完全試合を達成した94年シーズンは首位打者争いを繰り広げたほどで、広島になくてはならない選手でした。

そのため、仲間の不甲斐なさを思ってこの発言につながったのかもしれません。

現役を引退した今でこそ、前田さんはにこやかな一面を見せていますが、現役時代は無口でヒットを打っても納得いかなければ首をかしげていることが多々ありました。

自分のHRで試合を決定付けた試合でも、その前の守備のミスを理由にヒーローインタビューを拒否したこともあるほどです。

とにかく自分の理想を高く持ち、限界に挑んでいた選手でした。

そのため周りからは孤高の天才などと称され、近寄りがたい雰囲気の選手でした。

理想を高く持つ前田選手は、主力を欠くカープ相手に完全試合を達成し、当時三塁を守っていた長嶋一茂選手やバッテリーを組んだ村田選手を抱き合い、大喜びする槙原投手を見て、

「そんなんで嬉しいんですか?」と素直に思ったのでしょう。

前田選手は、自分の所属しているチームが完全試合を達成されたことは非常に悔しかったようで、この借りは必ず返すと誓ったそうです。

そして完全試合後の槙原投手との対決において、怪我の癒えた前田選手は見事にお返しとなるHRをバックスクリーンに叩き込みました。

試合後のインタビューでは、

「槙原さんが投げてくるということで勝負をかけていた。普通とは違った緊張感がHRにつながったと思います」

とコメントしています。

槙原投手ものちに前田選手について、

「完全試合の日に、前田選手がいなくてラッキーだった。ヒットだけならいつでも打てるバッター。真ん中の球は平気で見逃すくせに、難しい球は確実にとらえる」

とコメントしており、やはり前田選手がいなかったことが完全試合達成に大きく影響していたことを物語っています。

まとめ

令和初の完全試合達成者が現れたことにちなんで、その前の完全試合達成者である槙原寛己投手の完全試合について、いま一度クローズアップしてみました。

ちなみにこの時の試合は、完全試合以外においてもメモリアルな日でした。

まず、94年は巨人という球団が創設されてから60年という年でしたし、槙原投手が完全試合を達成した日はちょうど通算7,000試合目だったのです。

また、当時槙原投手は度々寮の門限を破る問題児だったそうで、1ヶ月の外出禁止令を言い渡されていました。

そのため完全試合を達成した日は、槙原投手自身の自由を勝ち取るためのある意味大事な試合でもあったのです。

その槙原投手は、佐々木朗希投手の完全試合について、

「13者連続奪三振は、投手としてはできない。コントロールも要求される。普通じゃ考えられない。レベルが全然違います。20歳でこの偉業は凄い」

と絶賛しています。

また、一方で三冠王を3度達成した落合博満さんは引退後、

「日本球界には2人の天才打者がいる。一人はオリックスのイチローで、もう一人は前田」

と話しています。

ミスターパーフェクトと、天才と謳われた打者が認めた天才打者。

スポーツにおいて「たられば」は禁句とされますが、もし槙原投手が完全試合を達成したあの日、江藤智選手も前田智徳選手も出場できていたら、完全試合はどうなっていたでしょうか?

視聴者の皆さんはどう思いますか?

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