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松井秀喜をうまく懐柔させた原辰徳の特別な叱り方とは?

   

92年にドラフト1位で巨人に入団。

日本球界を代表する打者として、10年間で332本のHRを放った松井秀喜さん。

王貞治さんの10年間で356本に次ぐ歴代2位の記録を誇り、巨人軍の主力選手として活躍した

「ゴジラ松井」こと松井秀喜さんは、その後メジャーリーグに挑戦し、ニューヨーク・ヤンキースなどでも活躍。

09年には、アジア人として初のワールドシリーズMVPを受賞しています。

そんな松井秀喜さんですが、巨人時代には当時ジャイアンツのコーチをしていた現巨人監督の原辰徳さんに、特別な叱り方をされたことがありました。

原辰徳の叱り方

原監督は現役を引退した後にコーチとして巨人に入閣し、監督としても松井さんを指導していました。

それは長嶋茂雄さんが監督を務め、原さんがコーチだった時のことでした。

当時怪我人が続出した巨人は選手を守るため、フリー打撃の際にフットレガースの着用を義務としていました。

しかし、体が締め付けられるのを嫌った松井選手は、フットレガースを着けるのを拒みます。

「試合では着けないんだから、練習でも着けたくない」

そう言う松井選手に原コーチは、

「慣れない選手はいるだろうけど、ケガして困るのはチーム。全員に着けてもらう」と断言しました。

しかし、打撃ゲージに入った松井選手の右足には、何も着けられていませんでした。

それを見た原コーチは、ベンチに帰ってしまいます。

これは一悶着起きるだろうと、その場にいた誰もが思っていました。

すると、原コーチはレガースを手に戻ってきて、

「慣れてくれ。お前にケガされたら困るんだ」

言うことを聞かない松井選手に、原コーチは叱るでもなくひと言告げただけでした。

チームの決め事を守らなかった松井選手を叱りつけるのではなく、彼のプライドを傷つけないようにと、原コーチが配慮した行動でした。

年上のコーチが、わざわざベンチに取りに行ってまでレガースを着けさせようとしたことに、松井選手は従うしかありませんでした。

原コーチは当時について、このように語っています。

「松井はジャイアンツを背負っていく選手。単純に自分が打てれば良いというだけではダメ。ジャイアンツの主力選手なんだから。俺も入団した時から藤田監督にそういう教育を受けてきた」

その後球界の主砲として上り詰めることになる松井選手を、原コーチは見事に導いたのでした。

会食の真相

その後活躍の場を海の向こうへ移し、メジャーリーガーになる松井選手は13年、

ニューヨーク・ヤンキースで引退セレモニーを行い、ヤンキースの一員として野球人生を終えることになります。

同じ年、松井さんと原監督は都内で会食をしていました。

原監督は松井さんとの会食について、

「別に他意はないよ。ただ、5月の段階で8月に日本へ来ることがわかっていたから、それなら食事でもしようと。それを実行したまで」

と語っています。

しかしただの会食と言うものの、帰国当日の松井さんに当時巨人の監督をしていた原さんが、チームの移動日をずらしてまで会っていたのです。

関係者の話では、

「オフ前に腹を割って2人きりで話せる機会はそうない」といいます。

考えられることはただ一つ。

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松井さんに「帰ってきてくれないか」と原監督は入閣を要請し、松井さんに決心を迫ったのだろうと考えられました。

当時の原監督の胸の内は、長嶋終身名誉監督から引き継いだ政権を松井さんに託し、自身は早期に身を引きたいというものでした。

しかし、なかなか煮え切らない松井さん。

原監督は翌年の2014年12月に開かれた日本外国特派員協会における記者会見でも、イライラを隠しきれない様子でした。

この記者会見は2015年3月21日に開かれる東北復興支援チャリティ

「トモダチ チャリティ ベースボールゲーム」を記念して行われた記者会見でしたが、松井さんについても話が及びました。

記者の、

「巨人軍からオファーがあったら、原監督の後継者、つまり巨人の監督に就任されるお気持ちはありますでしょうか?」

という質問に対し、松井さんは笑って、

「困りましたね原さん」と横にいる原監督に振ると、原監督は

「僕も聞きたいね」と返しましたが、まさに原監督が松井さんに聞きたかったことでしょう。

松井監督誕生の可能性

原監督と松井さんは、

「2018日米野球エキシビジョンゲーム巨人ーMLB選抜」の試合前にも会話する場面がありました。

この試合で松井さんは、MLBオールスターチームのランナーコーチに就任。

コーチとしてのデビュー戦となりました。

一方の原監督にとっても、19年シーズンから3度監督として巨人軍を指揮することになる、

いわば復帰後の最初の試合となるもので、野球ファンにはたまらない魅力のあるゲームでした。

それだけに2人の会話の内容が気になりますが、原監督は

「MLB代表コーチということで来たが素晴らしいなと。一塁コーチとして立つということだったので、少し時間があるならこっちのベンチに戻ってもいいよ、というような冗談は言った」

と松井コーチとの会話の内容を明かしました。

原監督と松井さんは、よくよく縁があるようです。

しかし、原監督が熱望した松井さんの巨人軍監督就任は、今のところ実現しそうにありません。

20年5月に『池上彰×松井秀喜 in キューバ』に出演した松井さんは、池上彰さんからの

「いずれ巨人の監督になるのでは?」と言う質問に思わず苦笑いし、

「ジャイアンツはやっぱり気になりますね。チームの結果は常に見てますし、個人的に応援している選手もいます」と語り、監督就任については「その時の状況で自分が許せばだと思います」

と答えています。さらに、

「まだ先のことは全然考えてないんですけど、ジャイアンツのことは今でもやっぱり好き。お世話になりましたし、応援しています。それだけは間違いないです」

とジャイアンツ愛を語った上で、

「監督就任の意欲は別にないんですけど」とも語っています。

松井さんは現在ニューヨークに居住し、

「ヤンキースGM付特別アドバイザー」としての生活に満足しているようです。

まとめ

18年、「巨人の原辰徳氏の野球殿堂入りを祝う会」において、松井秀喜さんはビデオメッセージで祝いの言葉を述べています。

「一緒に殿堂入りできて大変嬉しく思っています。私がジャイアンツに入団した時、原さんはジャイアンツでバリバリの4番打者ということで、いつも見上げるような存在で近寄り難い雰囲気もありましたが、選手として最後の3年間ともにプレーしていただき、大きな財産になったと思っています」

とその思い出を感慨深く語っていました。

松井さんが巨人に在籍していた10年間、ともに戦った原監督。

その原監督が球団幹部の意思もあり、次期監督に松井さんをと現役引退直後から2人だけの会食を重ねるなどして、熱心に口説いていました。

原監督が長嶋終身名誉監督からされたのと同じように、自らのポジションを禅譲しようとしているにも関わらず、どこまでも煮え切らない松井さん。

そのため、2人の関係は冷え切っているとも噂されています。

ニューヨークでの暮らしに満足している松井さんには、もはや巨人軍のラブコールは届かないのでしょうか?

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