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和田一浩を震え上がらせた落合博満の言葉「お前は競争させねえから」

   

08年に、西武ライオンズから中日ドラゴンズへFA権を行使して移籍した和田一浩選手。

西武でも遅咲きの選手であり、中日に移籍した時にはすでに35歳。

プロとしてはかなり歳をとっていました。

そんな和田選手に対し、当時中日で監督を務めていた落合博満さんは、なんと

「お前は競争させねえから」と言ったのです。

この言葉、一見するとレギュラー争いには参加させない、つまり戦力と見ていないと言われているようにも解釈できます。

実際この言葉を聞いた時、和田選手は震え上がったそうです。

落合監督のこの発言の真意は、一体何だったのでしょうか?

和田一浩

和田選手は、96年に社会人野球の神戸製鋼からドラフト4位で西武に入団。

当時は捕手として入団しましたが、98年には外野手に転向。

00年に55試合に出場して、規定打席に未到達ながら打率3割を超える活躍を見せます。

そこからメキメキと頭角を表していき、2002年には打率.319、33HRを放って球界を代表する好打者になっていきます。

08年、FA権を行使して中日ドラゴンズに移籍。

もともと岐阜県出身で、子供の頃からドラゴンズブルーのユニフォームを着ることに憧れており、移籍交渉は数分で決定したそうです。

この前年の07年といえば、中日は2位ながらCSを突破し、日本シリーズも制して日本一になりました。

この時の日本Sでは、山井大介投手が8回まで1人のランナーも許さないパーフェクトピッチングをしていたにもかかわらず、最終回に岩瀬仁紀投手に交代したことが物議を醸したりもしました。

和田選手はこの騒動を見て、中日ドラゴンズは冷徹に自分の役割に徹するチームであると認識したそうです。

和田の立ち位置

中日に移籍後、和田選手は落合監督から

「お前は競争させねえから」という意外な言葉をかけられました。

和田選手はたとえFAで移籍した選手であっても、ポジションというのは競争によって勝ち取るものだと考えていました。

実際メディアの取材を通しても、競争によってポジションを勝ち取ると宣言していました。

また当時の中日ドラゴンズには、福留孝介選手や李炳圭選手といった主力に加え、

ベテランの井上一樹選手や、当時まだ若手ながら高校時代の活躍などから将来を期待されていた、平田良介選手といった面々がいました。

このほかにも、普段は内野の森野将彦選手も外野として出場することがあり、中日の外野の選手層はかなり厚く、ポジションを勝ち取るのは容易ではないメンツでした。

また生粋のドラゴンズファンからすれば、応援しているずっと中日一筋でやってきた生え抜きの選手が、

他球団から移籍してきた選手にレギュラーを奪われるというのは、気持ちの良いものではないでしょう。

小さい頃からプロ野球のファンだった和田選手自身も、その気持ちは痛いほど分かっていました。

特に和田選手の場合は、社会人卒で35歳と遅めに手に入れたFA権を行使しての移籍です。

年齢的にいつ引退してもおかしくないような選手より、生え抜きの若手を使った方が良いと考えるファンもいたことでしょう。

優しい和田選手は、若手選手のモチベーションも気にかけていたようです。

だからこそ、和田選手は競争によってレギュラーを獲得しようと考え、メディアを通じても度々発言していたのですが、

落合監督はそれを許さず、和田選手のレギュラー確約をメディアにも明言しました。

そして、開幕まで自分で調整することを命じたのです。

実は、落合監督自身も現役時代はレギュラーを確約されていました。

そんな時期の落合選手はOP戦でも、

「今日は打席に立つだけ」と打席にたっても全くバットを振らず、見逃し三振で終えることがあったほどです。

落合監督は自らの現役時代の経験もふまえ、主力としてあるべき姿を和田選手に説いたのかもしれません。

チーム打撃禁止令

ある時和田選手が、無死二塁の場面で二塁方向へゴロを打ったことがありました。

いわゆる、進塁打というチーム打撃です。

無死の場合、二塁走者は無理する場面ではないのがセオリーで、1ヒットで返すというのは微妙なシチュエーションとされます。

そんな時に、二塁走者が進む三塁方向とは逆の右方向に打つことで、

たとえ打者がアウトになってもランナーを三塁に進塁させ、スクイズや犠飛など、様々な手段で得点する可能性を広げることになるのです。

そうしたランナーを進めるための打撃を進塁打と言い、たとえ打者は凡退だったとしても、味方のために貢献したチーム打撃として評価されることがあります。

そんなチームのための打撃をしてみせた和田選手でしたが、試合後に落合監督から思わぬ言葉をかけられます。

「いいか、自分から右打ちなんてするな。どうしても右打ちをして欲しい場面ではベンチからサインを出す。サインが出ていない時は本塁打を狙っていけ」

チームのためになんて考えず、自分本位のバッティングを貫けという意外な言葉でした。

右打者が本塁打を狙うとなると、左方向への打球が多くなります。

すると打ち損じてゴロになった場合、三塁や遊撃へのゴロとなり、ランナーが三塁に進める可能性は低くなります。

落合監督は、ランナーが三塁に進めないリスクを承知で、右打ちはするなと指示をしたのです。

和田選手はこれまで、チームの勝利を最優先事項として、チーム打撃に徹していました。

チーム打撃をして咎められたのは、野球人生で初めてのことだったと言います。

競争させてもらえない恐ろしさ

和田選手が「お前は競争させねえから」という言葉の本当の恐ろしさを知ったのは、怪我をした時でした。

ある日の試合で自打球が当たり、左足を怪我してしまいます。

怪我をした和田選手に対して落合監督がかけたのは、

「やるのか?やらないのか?」という言葉でした。

大抵の場合、こんな時は

「大丈夫か?」「無理するな」

などと気を遣う発言をしそうなものですが、落合監督は和田選手自身にその後も試合に出るかどうかを一任したのです。

和田選手はこれまでご紹介してきた通り、競争せずにレギュラーを確約された選手です。

だからこそ、出るかどうかは自分で決めろというわけです。

もちろん試合に出られないといえば、他の誰かが代わりに出場することになります。

出場機会に恵まれない選手は、そうなれば気合十分で活躍することでしょう。

和田選手にとって自分から休むということは、レギュラーを譲るということに等しかったのです。

その結果、和田選手は怪我を抱えたまま出場することを決めました。

落合監督は、和田選手以外にもレギュラーを確約した選手の出場は自分自身で決めさせました。

それは当然結果も求められ、逃げられない恐怖が付き纏います。

落合監督は主力選手にそこまでの権利を与え、義務を課していたのでした。

まとめ

「お前は競争させねえから」

一見すると「競争させない=戦力と見做してない」

というように見えて、実は移籍した時点でレギュラーを確約させるという意味だった落合博満監督のこの言葉。

競わずしてレギュラーになれるとあれば、そんな楽なことはないと思いきや、

その言葉の裏には怪我した場合の判断すらも自己責任にされるという意味も込められており、

ある意味競争を強いられることよりも厳しい立場となった和田一浩選手。

そして、主力としてチームを引っ張ってほしい和田選手にはチーム打撃などせず、自分の打撃をすることを求め続けたりもしました。

落合監督の指導は権利を与えたうえで、徹底的に義務を果たすことを選手に植え付けていたのかもしれません。

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