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張本勲が桑田真澄を猛烈に批判した理由!「やってることが違う!馬鹿げてる」

   

「たくさん走ってたくさん投げるという時代ではない」

これは、現巨人一軍投手チーフコーチの桑田真澄さんが、原政権のジャイアンツに就任した時の会見で発言したものです。

この言葉を痛烈に批判したのが、

『サンデーモーニング』などで知られる元プロ野球選手の張本勲さんでした。

桑田さんの発言の意図と、張本さんが反論した理由は、一体何なのでしょうか?

それぞれの考え方

桑田真澄さんは現役を引退した後、早稲田大学大学院スポーツ科学修士課程1年制コースに合格し、

巨人入団前からの目標であった早稲田大学入学を果たします。

大学では科学的な面からスポーツを学び、「スポーツ障害」を知ったそうです。

桑田さん自身も現役時代にけがをし、1年以上試合に出られない期間がありました。

学んだことと自身の経験を踏まえ、たくさん投げる必要はないと考えたのでしょう。

だからこそ、

「わからなかったことがスポーツ医科学の発展で解明されてきている。それを活用しながら早くうまくなってもらいたい」

と発言したのです。

これに対し、張本さんが桑田さんの発言に反論したのには、大きく3つの理由があります。

1つ目は、「スポーツ障害」という言葉を知らなかったということです。

張本さんは81年に引退しているため、「スポーツ障害」という概念を知らずに現役生活を終えています。

なので張本さんにとっては、練習量が多いほどいい選手になるという考えが根底にあるのでしょう。

しかし、過度な練習が故障の原因となることは今は常識です。

学校生活でも、過度な練習はさせないのが主流です。

体を壊す可能性のあるものはすべきではありません。

体が資本と言われるプロの選手ならなおさらです。

人間の体にも限界があり、適切な量にも「個人差」があるため、科学的に自分に適した練習内容や練習量を判断することは、今の時代にあっているといえます。

球速やパワーをあげることも大切ですが、試合の中での駆け引きや戦術など、技術以外のスキルを身につけていくことも大切です。

2つ目は、科学的トレーニングを導入して失敗しているということです。

巨人では00年以前からトレーニングコーチが練習メニューを管理しています。

藤田元司監督の時代には、一度科学的トレーニングを取り入れられたことがありました。

春季キャンプには大学教授を招いて走り方講座を受講し、20〜30mメートルの直線距離をフォームを意識して走るというメニューが組まれました。

選手はいつもより楽なメニューに大喜びしたそうです。

しかし、開幕すると3〜5イニングで潰れる投手が続出しました。

科学的トレーニングを行なったこととの因果関係は分かりませんが、すぐに以前までのメニューに戻し、100本ノックやポール間走が行われました。

そのため、科学的なトレーニングは一度失敗しているのだから、もう一度同じことをする必要はないと思ったのでしょう。

張本さんは走り込みや投げ込み、打ち込みを重視する考えを普段から表明しています。

どちらの練習方法が優れているのかは一概に言えませんが、ほかの球団に試合で勝つためには、限られた時間の中でより効率の良い練習をする必要があります。

走るのが遅い選手なら、走り出すための判断を早める練習をする。

走る時間を増やせるよう、より遠くに球を飛ばす練習をするなど、その人にあった練習方法を見つけ、取り組んでいくことが大切です。

科学的なトレーニングは必要な練習を見つけ出してくれ、効率的に練習に取り組めるので、その点では優れているといえます。

ただし、その効率的な練習を行うためには走り込みや投げ込み、打ち込みなどの基礎的な練習がベースとなります。

そのベースがなければ、いくら効率的に練習しても体力がつかず、短時間で潰れてしまう選手に育ってしまいます。

張本さんの考え方も桑田さんの考え方も、理にかなっているのです。

2人の考えをうまく融合させられるコーチが出てきたら、すごい選手が生まれそうですね。

根性論が似合う選手

最後に3つ目の理由は、現役時代の桑田さん自身が人一倍練習をしていたということです。

桑田さんがプロ入りした86年に、ジャイアンツで2軍投手コーチを務めていた関本四十四さんは、過去にこう発言しています。

「当時誰よりも走り、誰よりも投げていたのが桑田だった」

「根性論という言葉が似合う選手だった」

このように、現役の時の桑田さんは張本さんが常々口にするような、練習量を重視するような選手だったのです。

ではなぜ、真逆ともいえる発言をするようになったのでしょうか?

それは桑田さんのケガにありました。

95年、桑田さんはフライを捕球する際に右ひじを強打し、靱帯に大ダメージを受けてしまいます。

桑田さんは肘を酷使し続けた結果、プロ入りから10年で限界に達してしまったのです。

ケガをしたものの、その後も野球を続けたかった桑田さんは復活をかけ、手術を受けることにしました。

靱帯を移植し、修復するトミー・ジョン手術です。

当時トミー・ジョン手術はメジャーではなく、日本でも知られていなかったのですが、渡米してアメリカで手術を受けました。

桑田さんは野球をできなかった期間がつらかったと話しているため、

若い選手たちにこのような経験をしてほしくないと考え、ケガの少ない科学的なトレーニングを提案したのでしょう。

張本さんが桑田さんに対して、

「自分が現役時代にしていたことと違うじゃないか」

と思うのも無理もないことです。

また、張本さんがケガをしない選手だったわけではありません。

張本さんは幼いころの事故でやけどをし、右手に重傷を負いました。

小指はなくなり、薬指は1/3、中指は半分になってしまっています。

もともと右利きだった張本さんは左利きに修正し、左投左打になりました。

しかし、後遺症の残った右手にグローブをつけてボールをキャッチするのは難しく、守備は苦手だったそうです。

こんなにもハンデがあるのに4年連続首位打者を獲得するなど、右手の不自由さを感じさせませんでした。

張本さんは身体的なハンデを持っていても、練習でカバーできるということを身をもって実感したので、

「練習=正義」というような考えになったのではないでしょうか。

まとめ

桑田さんも張本さんも、自身の経験から

「選手人生を左右するようなけがをしてほしくない」という思いと

「ケガも練習でカバーできる」という考えがぶつかり合ったと言えるでしょう。

2人とも自身の経験を踏まえたうえでの考え方なので、どちらかの考えが間違っているということはありません。

これからも桑田さんの指導方針、張本さんの見解には注目していきたいですね。

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