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谷繁元信と森祗晶の確執の真相!移籍を決意したきっかけがこちら・・・

   

元プロ野球選手で、野球監督や解説者を務め、現在は日本プロ野球名球会の理事をこなす谷繁元信さん。

88年、18歳の時にドラフト1位で大洋ホエールズ(現・横浜DeNAベイスターズ)に入団すると、開幕から早速一軍入りを果たしたことで話題となりました。

捕手として活躍する傍ら、打率が3割となったこともあり、攻守共に注目を集めた谷繁選手でしたが、

02年に「FA宣言」を行い、中日ドラゴンズに移籍。

以降15年に引退するまで中日ドラゴンズで活躍し、通算で3,021試合に出場しました。

そんな谷繁さんが中日ドラゴンズに移籍した理由は、森祇晶監督のある言葉がきっかけだったと言われています。

今回は谷繁さんが森監督に言われた言葉やその経緯について、詳しくご紹介していきます。

突然のFA宣言

FA宣言とは、日本野球機構(NPB)に定められている規定に達した選手に与えられるフリーエージェントの権利を使用することを指します。

通常であれば、プロ野球選手はオフシーズンに所属球団と契約を進めますが、FA権を持っている選手は他の球団とも契約を交渉することが可能になります。

国内FAと海外FAがあり、シーズンの一軍登録日数などの細かい規定を満たした選手のみがFA権を得ることができます。

FA権を行使できる選手は非常に限られており、取得できた選手というのはそれだけ長くプロ野球の世界で活躍し続けられている、優秀な選手であるということなのです。

当時の谷繁選手は、すでに野球界を代表するほどの名捕手となっています。

そんな名選手を、普通ならば横浜ベイスターズは手放したくないはずです。

そんな中で02年の横浜ベイスターズは、01年から森祇晶さんが監督を務めていました。

森監督は、04年までの3年契約で横浜ベイスターズの監督に就任しましたが、シーズン開幕から記録的な敗北を重ねたため、シーズン終了を待たずに解任となっています。

圧倒的最下位に終わったベイスターズですが、その理由は谷繁選手を手放したからだとされています。

森さんが就任する前、横浜ベイスターズは権藤博さんが監督を務めていました。

権藤さんは、

「何よりも野球は選手がやるもの。監督は選手個々の考え方や才能を自由に発揮できる環境を作るだけ」

と発言したことがあり、選手が主体となるような環境作りや采配をしていました。

一方の森監督は、管理野球の申し子と言われており、良くも悪くも監督が主体となって選手を動かしていく野球をしていました。

これが、谷繁選手の心境を変化させた原因とも言われています。

そんな森監督ですが、谷繁選手に対して

「あんなリードしておいてよく捕手やってんな」と陰口を言っていたそうです。

これは、当時一軍の投手コーチを務めていた人物が証言しています。

谷繫選手の方は、FA宣言した時の会見で森監督との仲について

「そりが合わないわけではないです。横浜ベイスターズに残ることも選択肢にあります」

と語っていますが、この発言は完全には否定できていないとも捉えられます。

また森監督は「レギュラーは遊撃以外決まっていない。捕手が谷繁とは限らない」と明言したほか

「ベンチの指示通り投手にサインを出せ」と谷繁選手に言ったという噂もあります。

基本的に森監督は保守的で、守りの姿勢で耐えて耐えて勝つことを常にしていました。

逆に谷繁選手は、それまで攻めのリードに磨きをかけていました。

「度胸満点で、博打を打てる捕手」ということで投手からの信頼を勝ち取っていき、相手打者からも

「リードが読めない」と言われていました。

正反対の価値観がぶつかってしまった結果による確執だったのかもしれません。

確執の真相

誰が見ても「確執は無い」と言い切れない2人の関係。

野球関係者から見ても、谷繁選手と森監督の相性は悪かったそうです。

そもそも、森祇晶さんは名監督と言われており、横浜ベイスターズにやってくる前は西武ライオンズを堅実な采配によって強いチームに押し上げていました。

ですが、横浜ベイスターズは豪快で男らしいプレーをすることから、森さんはベイスターズのプレーを雑だと思っていたようです。

これにより、当時チームの中心として活躍していた谷繁選手と確執が生まれたのではないかと言われていますが、真偽の程は定かではありません。

また谷繁選手は、シーズン開幕直後はベンチで森監督の隣に座って指示を聞いていましたが、いつの間にか離れて座るようになっています。

陰で愚痴を言われていたことで、森監督の性格に嫌気がさしたそうです。

一方で森監督は、谷繁選手がいなくても違う捕手で穴埋めできると考えており、彼がFA移籍することに対して引き止める方針は無かったようです。

谷繁選手は、横浜ベイスターズのことが大好きでした。

大洋ホエールズの時代から球団に愛着を持っていましたが、森さんが監督になった途端に移籍したことからも2人の関係の悪さを感じさせます。

谷繁選手が現役時代、監督の中でもそりが合わなかったのは森さんだけだという意見もあります。

これは中日ドラゴンズに移籍した後、引退まで10年以上も活躍し続けたことからも読み取ることができます。

谷繁選手はさっぱりとした、悪く言えば豪胆な性格の人物です。

陰口を嫌い、確執が生まれてもおかしくなかったのかもしれません。

まとめ

谷繁選手が02年以降移籍せず、変わらず横浜ベイスターズに残っていたら、野球界の歴史は変わったと言われています。

森さんは横浜ベイスターズに就任した時、三浦大輔投手、石井琢朗選手、

そして谷繁選手を中心とした守りのチームを作り、選手を育てながら優勝すると発言していました。

しかし、その目的は達成されないまま途中解任されてしまっています。

森さんの招聘を決めた当時の横浜の球団社長だった大堀さんは、後に

「チーム成績を悪くしただけでなく、森さんを傷つけてしまう最悪の結果であった」

「致命的なミスキャストだった」と悔いています。

「チーム力は落ち始め、世代交代が急務になっていた。森さんは強いチームを日本一にすることができる監督であって、当時のベイスターズにはミスキャストであった」

と反省しています。

その後森さんは、横浜の監督を辞任したことで指導者としても引退し、今日までハワイで暮らしています。

そして谷繁さんの方は、自分が現役だった時にチームの監督だった人たちについて、

それぞれ尊敬できるところやすごいと思ったところを語っていますが、森祇晶さんのことについては未だ何も語っていません。

いつかこの2人が、顔を合わせて願わくば和解してほしいですね。

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