中村紀洋と中畑清の確執!不可解な懲罰の真相がこちら・・・
元横浜ベイスターズの中村紀洋選手が、懲罰によって14年5月7日に一軍登録を抹消され、そのまま戦力外通告を受けた騒動。
覚えている人も多いのではないでしょうか?
抹消後は2軍で調整の日々を送っていましたが、話し合いで現役続行を希望したにもかかわらず、10月3日に戦力外通告を受けてしまったのです。
様々な球団で活躍し、11年に横浜ベイスターズに入団した中村選手は、通算404HRという記録を持っています。
また、三塁手としてゴールデングラブ賞を7度も受賞するなど、守備でも秀でた才能を持っていた選手でした。
しかしそんな彼は、当時の監督であった中畑清さんの方針に従わなかったとして懲罰を受けています。
中村選手の懲罰は不可解だと言われることもあり、未だに彼がひっそりと現役を引退してしまったことを惜しむ声もあります。
中村選手と中畑監督の関係について、その真相をご紹介していきます。
必要とされていない感覚
采配批判を理由に2軍へ降格となった後、中村紀洋選手は自由契約となりました。
自由契約とは、選手がどの球団とも契約を結べる状態のことです。
しかし彼をオファーする球団は無く、そのまま引退試合やセレモニーも行われずに引退となってしまいました。
戦力外通告を受けた後に自由契約となる選手は、現役続行を表明したものの、契約先がないという場合が多く、現役を続行するには他球団に移る必要があります。
殆どのプロ野球選手は、中村選手のように戦力外通告を受けた後、引退か自由契約として現役続行の手段を探すか、どちらかの手段を取ることとなるのです。
中村選手の場合はオファー球団が無かった結果を受け止め、
「まだまだ諦めず、常に挑戦する」と明言しました。
現役復帰は叶いませんでしたが、その後中村選手は野球解説者を経て、現在は中日ドラゴンズの打撃コーチを務めています。
彼は選手登録を抹消された際、SNSにて次のように語っています。
「詳しくは書けませんが、打席に入っている時に走者を場面によっては動かさず、打撃に集中させてほしいとコーチに相談させてもらいました。すると今朝登録抹消という連絡を受けました。コーチに相談することが監督批判となってしまった形です」
彼としては登録抹消は不本意なことで、急な出来事だったことが分かります。
続けて、「中畑監督は、取材陣に抹消は懲罰的な部分があるという話をしたようです」と語った上で、このように本心を吐き出しました。
「自分は必要とされていないのか」「勝つために1軍のフィールドに僕は必要ないのだろうか」
彼は14年、キャンプも開幕も2軍スタートで調整をしてきました。
そのため、「相談」が「批判」と受け取られたことにショックを受けたのです。
SNSで素直に本音を語った中村選手の投稿には、2,000件以上のコメントが寄せられ、励ましの声も多く届きました。
その当時中畑監督ら首脳陣は、
「自分の判断で盗塁しても良い」とランナーに指示していました。
こうした盗塁の指示はグリーンライトと言われますが、そんな中で中村選手が
「打席に集中させてほしい」と主張したことで、これが批判と見做されました。
実は、中村選手は2012年にも、グリーンライトの指示を受けた選手に、
「なぜ盗塁するんだ」と怒鳴りつけたことで、采配批判と見做されて2軍に降格したことがあります。
2014年の試合で主張したことは、2年前と同じような内容だったということです。
そのため中畑監督も、前回よりも厳しい懲罰を与える必要があったと言われています。
実際、中畑監督は取材陣に対し、
「彼の力が必要で、能力も十分承知しているが、彼の言動は認められない。チームが機能しなくなる」
と語っていました。
そして2度目の采配批判に対しては、
「今までに何回も言ってきたが、何も言うことは無い」と言い残しています。
中村選手は再びSNSを更新し、
「チームの試合中に個人的な投稿をしたことで不快な思いをさせてしまったことをおわびします。今後野球に集中し、精進してまいります」
と謝罪しました。
彼の登録抹消を決めたのは、間違いなく中畑監督です。
しかし、降格通知は中畑監督から直接受けたのか、それとも誰かから回ってきたのかは分かっていません。
かつて、江本孟紀さんが阪神に在籍していた時に降板した際、
「ベンチがアホで野球ができない」と批判したことで引退に追い込まれたこともあります。
そのため中村選手の降格処分は、十分にあり得る懲罰なのです。
それまでにもいくつかトラブルを起こした経験のある中村選手ですが、
彼ほど実力のあった選手が突如登録を抹消されたことで、
世間では球団に対しても中村選手に対しても賛否両論が巻き起こりました。
不仲の真相
中村選手が、元々ベイスターズに不信感を持っていた話は有名です。
ベイスターズは年俸交渉の際、中村選手に対し、球団の提示金額でのみ契約をするという強引な契約を行い、批判を受けました。
そして中畑監督は「5番は中村だ」と公言していたにもかかわらず、キャンプが2軍スタートとなったのです。
怪我や調整遅れなどの明確な理由が無いにもかかわらず、2軍スタートとなったことは、大きな不信感を募らせることになりました。
一方で、中村選手は若手に積極的にアドバイスを行なっていたことも知られており、球団関係者からは
「自分の技術を若い選手に教えるなんて、中村ノリほどの立場でなくてはできない」
とも言われていたほどでした。
戦績も十分、戦力としても計算できるはずだった中村選手を、結果的に引退に追い込む形となった中畑監督。
これにより、2人には不仲説が浮上するようになりました。
中畑監督は性格が良い人物だと言われていますが、一方で中村選手の輝かしい実績に扱いにくさを覚えていたという意見もあります。
中村選手は過去に何度もトラブルを起こし、いくつかの球団を移籍という名のクビになってきましたが、それを拾い上げたのが当時の横浜ベイスターズでした。
彼が今度こそ言動を改めるのでは、という期待を込めて入団させたからこそ、批判とも取れる言動を通告を無視して行なったことに失望したのではないでしょうか?
また、通常ならば監督の意見は絶対で、選手は監督の指示に従ってプレーします。
そして、確固たる実績の中村選手だからこそ、「相談」を行えたというのも事実でした。
しかしいくら実績がある選手でも、チームは1人を特別扱いできません。
だからこそ、相談ということを一選手が一度でも行うこと自体が、球団にとって許せないことだったのです。
中村選手だけを特別扱いすれば、それに増長する選手が現れ、選手が監督に従わずにチームが崩壊する恐れもあります。
そんな懸念から、中村選手を泣いて馬謖を斬る思いで2軍に降格させたとも考えられそうです。
2人の意思疎通がもっと上手くいっていれば、中村選手は再び1軍に戻ってくるチャンスがあったかもしれません。
まとめ
厳しくツラい話ですが、それでも中村選手の実績と中畑監督の采配の素晴らしさは、どんなに2人の間に確執があろうと変わることはありません。
ですが中村選手が中畑監督を舐めていたという噂もあるため、未だなんとも言えない感じのする今回のエピソード。
采配批判を行う選手というのは、日本球界ではあまりいないため、彼の懲罰が相応しいかどうかの判断は難しいです。
現在はコーチとして活躍する中村ノリさんですが、現役を諦めるとはまだ口に出していません。
もしかすると、いつか何処かのチームにまた所属するかもしれないと、ファンは一縷の望みをかけています。