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岩本勉が明かした斎藤佑樹への本音「一軍の戦力になれるとは思ってなかった」

   

「彼が一軍で活躍できるとは思っていなかった」

これは、かつて日本ハムファイターズに所属していた岩本勉さんが、自身のYouTubeで同じくファイターズに所属していた斎藤佑樹さんに対して発言したものです。

ドラフト1位で入団した斎藤さんに対し、なぜそう思っていたのでしょうか?

岩本勉と斎藤佑樹

岩本さんは、89年にドラフト2位で日本ハムファイターズに入団します。

しかし92年に、調整で2軍に落ちてきたある内野手の度重なる舌打ちが原因でイップスを発症し、一軍で投げることができなくなってしまいました。

それでも99年には自己最多の13勝をあげ、2年連続リーグ最多完投を達成。

05年に引退を発表し、現在はYouTubeチャンネルを開設しています。

一方の斎藤佑樹さんは、11年に早稲田大学から4球団競合の末、ドラフト1位で日本ハムファイターズに入団します。

斎藤さんの投げる球は打球がゴロになりやすく、12年には打たせた全ての打球のうち、半分以上をゴロにしています。

ボールをリリースする直前に打たれると思ったら、身体が反射的に反応してボール球を投げる

「危険察知能力」を強みとしており、得点圏での被打率が低い投手でした。

一方で13年に右肩関節唇を損傷してしまい、二軍で調整を続けますが調子の上がらない日々が続いていました。

在籍した10年間で登板は89回、勝利投手になったのは15回と、鳴り物入りで入団して期待されながらも、それに応えられたとは言えない結果になりました。

高校時代には、端整なルックスと試合中にマウンド上で青いハンカチで顔の汗を拭く姿が話題となり、

「ハンカチ王子」と呼ばれるようになりました。

彼が使っていたメーカーのそのハンカチは、オークションで定価400円だったのに対し、一時的に1万円を超える値がつけられたほどでした。

引退後は株式会社斎藤佑樹を設立し、「野球の未来づくり」に関する活動をするなどしています。

指名の理由

岩本さんは自身のYouTubeで、

「斎藤佑樹の10年間は厳しいものだった」と述べ、最後のシーズンの成績については

「一軍の戦力になるとは思えなかった」と評価しました。

また、「周りの選手が成長していく中で斎藤は変わらなかった」とも発言していました。

元々斎藤さんは、即戦力になると見込まれて指名されたわけではありません。

当時ファイターズの監督をしていた梨田昌孝さんは

「ファイターズは北海道に移転したばかりでファンがあまり多くなかったから、高校時代から主婦人気の高かった斎藤佑樹を指名した」

と語っています。

とはいえ、高校時代はかなりの実力の持ち主でした。

06年夏の甲子園決勝で、早稲田実業高校の斎藤さんは駒大苫小牧高校の田中将大投手と投げ合い、延長15回引き分け再試合の末優勝投手となります。

プロに進むことを期待されていましたが、自身の希望により早稲田大学に進みます。

プロでも通用する体を作る目的で進学しましたが、大学2年生の時に股関節を故障してしまい、このケガがプロで活躍できなくなってしまった原因のひとつだといわれています。

一方で田中投手や、甲子園で優勝したこともあり、メジャーでも活躍した松坂大輔さんなどは、高校卒業後すぐにプロ入りしています。

田中投手は4球団競合の末、ドラフト1位で楽天に入団し、新人王を獲得。

14年からはメジャーリーグにわたり、ニューヨーク・ヤンキースで6年間活躍。

21年からは古巣楽天に戻り、22年現在も先発ローテーションの一角を担っています。

一方の松坂さんは3球団競合の末、ドラフト1位で西武に入団し、月間MVPやゴールデングラブ賞、高卒新人初のベストナインを受賞しました。

07〜14年まではメジャーリーグで活躍し、さらにWBCでは日本代表の世界一にも貢献しました。

2人とも高卒でプロ入りし、国内外問わず活躍していることから、斎藤さんも大学に行かず高校を卒業したらすぐにプロ入りしていれば、ケガをすることもなくもっと活躍できたのではないかと言われています。

当時大学に進学する選手は、ドラフトで指名されないような選手ばかりで、斎藤さんのように上位での指名が確実視されている選手が大学に進むことは、非常に珍しかったのです。

田中将大との差

日本シリーズこそ一度も制覇できなかったものの、リーグ優勝を8度達成し、悲運の名将として知られる西本幸雄さんは、斎藤さんの投げ方について

「あの投げ方はあかん。右足が突っ立ち、腕も棒のようだ」

と発言しており、投球フォームを見直すように監督やコーチに伝えたとされています。

また、西武やヤクルトを日本一に導いた広岡達朗さんも、

「あの投げ方は大学では通用するけれどプロでは無理」

「今のフォームだと肩やひじを痛めてしまい、長く野球ができなくなる」と発言しています。

球界の大御所たちが、このような警鐘を鳴らしていながら、なぜ斎藤さんはプロで活躍できなかったのでしょうか?

実は斎藤さんは、アドバイスに耳を傾けてフォームを変更することはなく、

「自分には大学で4年間やってきた自信があります」と拒否し続けてきました。

斎藤さんは、コーチなどの話に耳を傾けることがなかったそうです。

これについては、斎藤さんが現役の時に同じファイターズで投手コーチを務めていた、荒木大輔さんも証言しています。

そんな斎藤さんに対して、田中投手は周りからのアドバイスを真摯に受け止め、より良い球が投げられるよう調整を続けてきました。

田中投手のフォームは、戦後最高の投手と呼ばれたトム・シーバー投手に似ていると言われています。

この2人は球質も似ており、浮き上がってくるように見える

「ライジング・ファスト・ボール」が最大の武器で、球の速さではなく球のキレで勝負する投手でした。

また、シーバー投手はシーズン25勝7敗をマークしたのに対し、田中投手は24勝無敗という成績を残しています。

斎藤さんもアドバイスを真摯に受け止め、投球フォームの変更などをしていたら、もっと勝てる投手になったかもしれないでしょう。

また、斎藤さんは甲子園で田中投手に勝ったことを大きな自信としており、13年に田中投手が24勝無敗を達成したのに対し、斎藤さんは0勝1敗だったにもかかわらず、

「田中のことはライバルだと思っている」「いつか追い越したい」

と発言していました。

斎藤さんが大学に通っていた4年間、田中投手はプロの世界で練習し、プロで通用する素晴らしい投手に成長していたのです。

この4年間で、2人の投球には天と地ほどの差が付いてしまいました。

斎藤さんも大学で活躍していたとはいえ、プロとアマチュアでは練習内容も野球の環境も大きく異なります。

そのことを理解せず、プロに入ってからも自分のしたい野球をし続け、田中投手のことを自分と同じくらいの実力だと思い込み、いつまでもライバル視していたのは、大きな誤ちだったのかもしれません。

まとめ

いかがでしたか?

岩本さんは斎藤さんの実力や練習態度を見て、

「一軍の戦力になれるとは思ってなかった」と発言したのではないでしょうか?

即戦力が見込まれていた訳ではありませんでしたが、岩本さんは自分と同じファイターズに入ってきた斎藤さんに、活躍してほしいという思いもあったことでしょう。

私たちも、周りからのアドバイスを真摯に受け止め、自分自身のパフォーマンスをよりよくしていく謙虚さを大事にしていきたいですね。

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