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仰木彬がイチローのある打撃フォームをやめさせようとした理由がこちら・・・

   

プロ野球の世界には、さまざまな師弟関係があります。

中でも有名な師弟関係が、イチロー選手と仰木彬監督でしょう。

独特な振り子打法で活躍し、メジャーリーグでも一流選手として活躍しました。

しかし仰木監督が、「あのフォームはやめさせて」とイチロー選手に発言したことがあったのです。

仰木監督とイチロー

イチローというスター選手は、仰木監督が作り上げたと言っても過言ではないでしょう。

イチロー選手はドラフト4位で入団しており、93年のシーズンは43試合の出場で打率.188と平凡な成績でした。

そんなイチロー選手の才能を開花させたのが、仰木監督です。

仰木監督は94年に、オリックスの監督に就任しました。

近鉄で監督を務めた5年間はすべてAクラス入り、優勝も経験した名監督として、84年から優勝できていなかったオリックスの再建を期待されての就任でした。

近鉄時代に重宝した新井宏昌さんを打撃コーチに据え、絶大な信頼をおいていました。

井コーチは当時、鈴木一郎という登録名のイチロー選手を見て、抜群の打撃センスを感じ、仰木監督にレギュラー起用を進言します。

仰木監督はOP戦からイチロー選手を使い続け、打撃技術の高さに加え、俊足と肩の強さに惚れ込み、レギュラーで使うことを決めます。

溢れる才能とは裏腹に、鈴木一郎という地味な名前では人気が出ないと考えた仰木監督は、登録名を「イチロー」に変更することをひらめきます。

当時、明るい言動で人気があった佐藤選手も、「パンチ佐藤」に登録名を変更。

パンチ佐藤選手はこの年、22試合の出場と成績を残せなかったものの、イチロー選手はこの年、210安打を放つ大活躍。

初めは言動が目立つパンチ佐藤選手に注目が集まるものの、成績を残すにつれてメディアがイチロー選手を取り上げたのは仰木監督の狙い通りでした。

この年のイチロー選手は打率.385で首位打者を獲得し、イチロー旋風が吹き荒れた一年となりました。

チームも2位となり、翌年の優勝を期待させる内容でした。

この年のオフに阪神淡路大震災が発生し、オリックスが本拠地とする神戸の街は大きな被害を受けます。

そんな中で95年、イチロー選手を中心とするオリックスの選手たちは

「がんばろうKOBE」を合言葉にシーズンを戦い、見事リーグ優勝を成し遂げました。

この年のイチロー選手は打率.342、25HR、80打点、49盗塁と大活躍し、首位打者、打点王、盗塁王を獲得してシーズンMVPに選ばれました。

無名だったイチロー選手をスター選手に育て上げ、就任2年目で優勝した仰木監督は、名監督としてさらに評価を上げることになりました。

振り子打法

イチロー選手の代名詞といえば、振り子打法です。

振り子打法は、当時オリックスの2軍打撃コーチであった河村コーチによって発案された打法です。

イチロー選手は、学生時代から上体を投手方向に移動させる独特の打法を用いていました。

イチロー選手の母校である愛工大名電は、個性を大切にする指導を行なっていたため、矯正されずにプロ入りします。

振り子打法は足を高く上げる打撃フォームで、速球には振り遅れるという弱点がありました。

しかし、イチロー選手はスイングスピードでその弱点を克服し、2軍で首位打者を獲得します。

2軍での活躍をきっかけに1軍での出場機会も増えますが、土井監督を中心とする1軍の首脳陣は、振り子打法では一軍の投手は打てないと酷評し、フォームの矯正を命じます。

しかしイチロー選手はこれを聞かず、自分の打ち方を続けたため、2軍落ちを命じられました。

このイチロー選手の振り子打法は、当初から色々とフォームを変え、試行錯誤を積み重ねていたようです。

野球の打撃フォームには、『軸回転打法』と『体重移動打法』の2通りがあります。

心を後ろ側の足にかけて、軸回転させて打つ一般的な打ち方が『軸回転打法』。

テニスでスマッシュを打つようなイメージで、重心を後ろ側の足から前側の足に体重移動させて打つのが

『体重移動打法』であり、イチロー選手は後者の『体重移動打法』で、その中でもかなり特殊だったそうです。

この打法について新井宏昌コーチは、

「振り子打法と命名される前に、私は『自分勝手スイング』と呼んでいた」と発言していました。

「練習でティーをする時にこちらがトスを上げるより前に動いて、足を上げて待っている。普通、打者は投手の動きに合わせて動き出すのに、『打者が先に動くっておかしいだろ?』と言ってもお構いなし」

とのこと。

その後、仰木監督と新井コーチが就任し、振り子打法は1軍で通用すると判断。

仰木監督は近鉄時代に、トルネード投法で大活躍した野茂英雄投手も育て上げています。

個性的なフォームを尊重する仰木監督が就任したこともあり、振り子打法はオリックス時代のイチロー選手の代名詞となりました。

もし仰木監督ではなく、イチロー選手の打撃フォームを改造するような監督が次に就任していた場合、イチロー選手はスター選手として活躍できなかったかもしれません。

なおこの振り子打法は、メジャーデビューした年の途中からやめたそうです。

よりヒットを打つための変更でした。

やめさせたフォーム

イチロー選手の独特な打撃フォームに理解を示した仰木監督ですが、唯一やめさせた打撃フォームがありました。

それは、98年の打撃フォームです。

94年から連続で首位打者を獲得していたイチロー選手ですが、毎年打撃フォームを変えていました。

98年はメジャー志向が強くなったこともあり、ケン・グリフィーJr.の打撃フォームを真似るようになります。

ケン・グリフィーJr.はMLBで本塁打王を4回も獲得したスター選手で、イチロー選手自身がテレビなどで憧れの選手と公言しており、後にイチロー選手ともチームメイトになります。

98年の打撃フォームは背筋を伸ばし、グリップを高く上げて捕手寄りに構え、アッパースイング気味に振り抜くスイングです。

このフォームで1998年のシーズンは、打率.358、13HR、71打点という成績を残しました。

しかし、仰木監督はイチロー選手の良さであったしなやかさが抜け、右方向に力強く飛ばす打球を求めているように見えると考え、やめさせて欲しいと当時の新井コーチに依頼しました。

ケン・グリフィーJr.はホームランバッターですが、イチロー選手はアベレージヒッターです。

タイプの異なる選手の打ち方を真似するのは良くないと考えたのでしょう。

新井コーチも

「あまり良い打ち方じゃないと分かっていたが、本人が納得いく打ち方で思うようにやらせてあげて良いのではと黙認していた」

と明かしています。

更に、イチロー選手自身もメジャー志向を抱き、力みもあったと考えられます。

「彼の良さでもあったしなやかさが消えて、全体的に固さがあった。打撃スタイルも外のボールを中堅手から右方向へ飛ばすことも多く、力強さを求めていたように感じました」

と新井コーチは話しています。

まとめ

選手の個性を認めた上で指導し、育てていくスタイルの仰木彬監督。

今でこそ個性は大事にされつつある時代ですが、当時はなかなか難しいものでした。

事実、マスコミや解説者などは、皆口を揃えて批判していました。

それでも、選手の個性を潰さずに自分のスタイルを貫いていく仰木監督に、皆が信用を寄せて指導を仰いでいくようになります。

その個性が潰れそうになっていくさまを、98年のイチロー選手に感じたのでしょう。

安打を量産していくスタイルが、イチロー選手にとっては一番合っているスタイルだと信じて疑わなかった仰木監督。

それはメジャー挑戦時、途中で振り子打法を止めてイチロー選手が求めたスタイルでもあったのではないでしょうか?

「個性を削っては元も子もない。選手自身の発想を大切にして才能を伸ばすことが一番だ」

という方針は、スポーツ界だけでなく現代社会でも活かされるべきだと感じ取れます。

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