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吉井理人が暴露した斎藤佑樹の裏事情「何があっても一軍に残しておくべきだった」

   

高校時代、ハンカチ王子として一世を風靡し、ドラフト1位で日本ハムファイターズに入団するなど、華やかな話題に事欠かなかった斎藤佑樹投手。

しかしプロ入り後はケガに泣かされ、思うような成績が残せず二軍落ちとなりました。

そんな斎藤投手について、当時チームの投手コーチだった吉井理人さんが語ったことがありました。

日ハムを退団するにあたって語った、吉井投手コーチの言葉とは?

その後の斎藤投手のプロ野球人生を変えていたかもしれない裏事情をご紹介します。

吉井理人から見た斎藤佑樹

12年は、日本ハムファイターズの一軍投手コーチを務めていた吉井理人さんが、シーズン終了後に電撃退団した年でした。

退団にあたって記者のインタビューに答えた吉井さんは、斎藤佑樹投手にも言及しています。

12年は、前年まで絶対的なエースだったダルビッシュ有投手が、メジャーリーグへ移籍したために抜けた年でもありましたが、チームは見事パ・リーグを制覇しています。

これついて吉井コーチは、

「僕はダルビッシュが抜けたとはいえ、十分に戦っていける戦力はあると考えていました。今季ブレイクした吉川を始め、佑ちゃん、八木、多田野、ウルフの5人が頑張ればダルビッシュの穴は十分に埋まると思っていました」

と語っています。

そしてキャンプ前の1月に栗山英樹監督から、

「開幕は斎藤で考えている」と言われた時にも、吉井コーチは

「佑ちゃんでいいんじゃないか」と思っていたそうです。

斎藤投手はキャンプとオープン戦とも結果が出ていませんでしたが、それでも吉井コーチは、

「昨年1年間見てきて、佑ちゃんが成長していることは知っていました。確かに結果は出ていませんでしたが、2人で取り組んでいたことも少しずつ形になり始めていましたし、周りが思うほど心配はしていなかったですよ」

と、当時の斎藤投手をみていました。

斎藤投手はそんなコーチの期待に応え、この年の開幕投手として、9回1失点で初の完投勝利を挙げたのです。

プロ2年目のことでした。

「佑ちゃんの野球人生の中で、絶好調だった時の感覚を早く取り戻させてあげたかった」

と吉井コーチは語っています。

斎藤投手の絶好調だった時とは、やはり高校3年のあの夏の甲子園でしょう。

早稲田実業のエースとして甲子園に出場し、決勝再試合の末、田中将大投手要する駒大苫小牧を下して優勝したあの日は、斎藤投手がどの選手より輝いていました。

あの頃の感覚を取り戻してあげたいと吉井理人コーチが取り組んだのは、

『立ってからボールを投げに行くまでの始動の部分』。

そこを何度も練習しました。そこがスムーズに行けば、いい感覚で投げることができるんじゃないか」

そう吉井コーチは考えたのです。

「絶頂期のあの頃より頭と体は成長しているはずなのに、結果が出ないのはどこかで感覚がずれているんだ」

そう思った吉井コーチは、そのずれた感覚を元に戻すべく、斎藤投手と二人三脚で日々頑張りました。

その練習が功を奏したのか、開幕戦で開幕投手を務め、さらに自身初の完投勝利まで挙げた斎藤投手。

さらに、同年4月20日のオリックス・バファローズ戦では初完封勝利を挙げるなど、

順調な滑り出しを見せていた斎藤投手でしたが、

6月6日の広島戦を最後に勝利の女神から見放されることになります。

吉井コーチはこの時の斎藤投手の心境を、次のように語っています。

「開幕から順調に勝利を重ねて、その状態を保ちたいという気持ちが強すぎたんです。だから投球の中で冒険ができなくなってしまった。もっと大胆に攻めてもいいのに小さい投球になって、打たれたくないばかりにコーナーを狙いすぎてストライクが入らなくなる。まさにそんな悪循環でした」

斎藤佑樹の扱い方

そして7月29日のオリックス戦の後、二軍行きが決定した斎藤投手。

斎藤投手の二軍行きは試合の後、監督を始め球団の首脳陣による多数決で決められたといいます。

この時を振り返って吉井コーチは、「ずっと一軍で投げさせてあげたかった」と語っています。

二軍に行ってしまえば、一軍に上がるのは厳しいものがあります。吉井コーチは、

「二軍に落とすとしても、結果はどうあれ当初の予定通り、2試合投げさせて一軍にあげるべきだったと思います」

と語っています。

予定では、斎藤投手は2試合投げたところで一軍に上がることになっていたようです。

実際には、一軍復帰を2ヶ月後の9月29日に果たしたものの、10月5日の楽天戦に先発登板したあとは、翌日に登録抹消されてシーズンを終えています。

「もしあのまま一軍で投げていれば…」と吉井コーチは斎藤投手に思いを馳せます。

「あのまま一軍で投げていれば15敗ぐらいしたかもしれない。負けることに慣れてしまってはいけないのですが、諦めのようなものを覚えるんです。実はこの諦めこそが、マウンド上での強みになることがある。特に佑ちゃんのように打たせて取るタイプは、この諦めが必要なんです。それを実感して欲しかった」

12年限りで退団した吉井投手コーチは、最後まで斎藤投手の二軍落ちを憂えていたのです。

その斎藤投手はケガに泣かされ、20年にはプロ入り後初の一軍登板なしに終わり、21年も一軍復帰とはならず、11年間のプロ野球人生にピリオドを打ちました。

吉井コーチの考え、皆さんはどう思いましたか?

まとめ

「栗山監督が斎藤を開幕投手にしたことに僕が大反対。そのことが僕が辞めたことにつながった一因だという声もある。斎藤のことで監督と言い合いになったことは何度もあるが、開幕については世の中で言われていることと真逆である」

これは吉井理人さんの著書「投手論」に綴られた一節です。

この「投手論」には、斎藤佑樹投手を二軍に落としたくないという吉井さんの気持ちが綴られています。

「斎藤は2年目の夏場に入り、二軍落ちした。そのことも世間では栗山監督が擁護し、吉井コーチが使えないと判断したからだと言われているが、これも逆である。投手コーチとしては斎藤を二軍に落としたくなかった」

その理由として、斎藤投手の特殊性を挙げています。

それは、吉井コーチの憧れの存在である東尾修投手と同質のものであると、「投手論」には綴られています。

年に20敗以上を2度経験しながらプロで20年間、常にローテーションから外されなかった東尾投手と同様の、闘争心と体の強さが斎藤投手にはあるといいます。

それは、プロ野球界を見渡してもなかなか見つけることができない才能である、と吉井コーチは著書のなかで語っています。

だからこそ、「斎藤佑樹は二軍に落とすべきではなかった」と吉井コーチは語ります。

結局斎藤投手は、11年間というプロ野球生活の大半を二軍で過ごしました。

「ずっと一軍で投げさせてあげたかった」

の吉井コーチの思いは届かず、最後の2年間は一軍に復帰することもなく、二軍選手のまま現役引退となりました。

引退会見で、「約11年間、ファイターズで最高の仲間とプレーできて幸せでした」

とコメントしたことが、何よりも吉井元コーチを安堵させたのではないでしょうか?

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