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宮本慎也と青木宣親の衝突事件と不仲の真相!「誰に口きいとんやコラァ!」

   

元西武ライオンズである石毛宏典さんのYouTubeチャンネルに、元ヤクルトの宮本慎也さんがゲスト出演。

その中で、現在もメジャーリーグから日本球界に復帰し、ヤクルトで活躍している青木宣親選手とのエピソードを明かしました。

現役からコーチ時代にかけて、一貫してヤクルトで過ごした宮本さんは、

その中で接してきた複数の選手たちのエピソードを紹介していましたが、

中でもベンチ裏で起きた青木選手との衝突事件には大きな反響がありました。

宮本さんと青木選手との間に、何があったのでしょうか?

青木と宮本の衝突

それは、09年のシーズンも終わりにかかる頃でした。

青木選手はある試合で外野を守っていたのですが、緩慢な守備で相手打者の二塁進塁を許してしまいます。

幸い失点には至りませんでしたが、当時の飯田哲也コーチに

「なんやあそこ!?二塁とられて」と叱責されてしまいます。

その時、青木選手がふてくされた態度で飯田コーチに口答えする様子を見ていた宮本さんは、

「こいつダメだな」とイライラしていたといいます。

その宮本さんの様子を察した、横にいた後輩の選手から

「慎也さん、我慢して我慢して」と声をかけられました。

しかし、飯田コーチと話を終えた青木選手がベンチ裏で暴れ出したため、勘弁ならなくなった宮本さんは青木選手を叱ろうとベンチ裏に向かいました。

慌てて後を追った荒木大輔コーチに、

「慎也やめろ!」と制止されながらも、宮本さんは

「お前何やってんだ!?」と青木選手を一喝したのでした。

青木選手が「なんなんですか!?」と逆ギレしてきたために、

「誰に口きいとんやオラァ!」と、宮本さんはさらに激怒してしまったのです。

試合後に青木選手は「すみません、ちょっと興奮してました」と謝罪したのですが、宮本さんは

「もうコイツはいいや」と失望の色は隠せなかったとのこと。

宮本さんがプロ15年目の39歳、青木選手がプロ6年目27歳の時のことでした。

このエピソードに対して、ネット上では様々なコメントが寄せられました。

・青木がそんな態度を取っていたとは…

・10歳以上も年上の宮本に反抗するのは生意気すぎる

・自分の怠慢を棚にあげてコーチや先輩に逆ギレするってヤバすぎるだろう

・当時の活躍ぶりを考えると天狗になっていた部分もあるのでは?

青木選手といえば、05年のプロ2年目に首位打者と最多安打のタイトルを獲得して新人王に輝き、

特に安打数に関してはイチロー選手以来2人目となるシーズン200本安打を達成するなど、

早くからプロで活躍した選手でした。

日本代表に選ばれ、世界一に輝き、09年も打率.300以上をマーク。

さらには最高出塁率のタイトルを獲得するなど、ノリに乗っていました。

その前年まででも4年連続で打率.300をクリアし、最強の打者と言っても過言ではないほどの活躍っぷりでした。

そのため、「天狗になっていた」と言われてしまったのかもしれません。

好成績が態度に出てしまったのではないか、と推測するファンが多かったようです。

後輩の青木選手のほうが分が悪いエピソードですが、これには後日談がありました。

4年後の13年、宮本さんが現役を引退した直後、青木選手は宮本さんを食事に誘ったそうです。

その時に「あの時は僕病んでました。すみませんでした」

と再度謝罪を受けたことも、宮本さんは石毛さんのYouTubeチャンネルにて明かしています。

青木選手は、この騒動を長い間後悔していたのです。

その素顔は、決して礼儀知らずな傲慢な若者ではありませんでした。

宮本慎也の厳しさ

この衝突事件は、引退後に発売された宮本さんの著書『意識力』にも綴られていました。

「思い出すのは09年の青木宣親とのやり取りである」

と始まるその著書には、この衝突事件について事細かく書かれていました。

当時、ヤクルトはCS進出をかけて、3位争いをしている最中でした。

「青木自身の打撃の調子が下降線をたどる中で、守備でもミスが続いていた。チームの主力である青木はやり玉に挙げられることも多かった。そんな中、ある試合でセンターを守っていた青木の打球へのチャージが遅く、単打で済むはずが先頭打者を二塁まで進めてしまったことがあった」

この青木選手のミスを、試合中に外野守備・走塁コーチだった飯田哲也さんが指摘したのが「事件」の発端でした。

宮本さんの著書によると、ミスを指摘された青木選手は

「そんなことは分かってますよ」と反抗的な態度を取ったといいます。

飯田コーチも引くわけにはいかず、両者は激しい口論となってしまいました。

「宮本さん、なんとかしてください」

という周りの声に押される形で、宮本さんは仲裁に入るつもりで

「いい加減にしろ」と言ったのでした。

ところが青木選手が、「何なんですか」と言い返したことでカッとなった宮本さんは

「なんやと!」となり、2人の間にただならぬ雰囲気が生まれたといいます。

そこで、慌てた周りの選手が宮本さんを制止する事態になったのでした。

この衝突事件の背景には、宮本さんの厳しさがあったようです。

宮本さん曰く、

「青木は安打を打つことに貪欲な選手だが、あれだけの選手なら自分のことよりもまずチーム第一という姿勢が欲しかった」

とのこと。

「その当時、彼は彼で実績を上げて反発したい気持ちも出ていただろうし、僕は僕で『勝ちたい』という気持ちから彼に厳しく当たってしまった」

と分析していますが、この厳しさが衝突事件を起こさせた元となったようです。

宮本さんは当時を振り返り、

「あれは彼がちょっとひどかったと思います。僕の引退試合を見に来てもらって、その後に久しぶりに食事をしたんですけど、『あの頃の僕は病んでいました』って自分でも反省していましたね」

と語り、続けて

「『あれは今でも後悔しています』と言っていたので、あの件に関してはもう何も思ってないです」

さっぱりしたようにコメントしていました。

まとめ

18年、ヤクルトのヘッドコーチに就任した宮本慎也さんは、MLBを経て7年ぶりに復帰した青木宣親選手と再会を果たしました。

2月26日にキャンプを打ち上げた宮本ヘッドコーチと青木選手は、にこやかなツーショットを披露。

練習後に談笑する自分たちにカメラを向ける報道陣を見つけると、宮本ヘッドコーチが青木選手の肩に手を回し、

「撮ってよ。いろいろ書かれてるから」と、満面の笑みを浮かべながら撮ったツーショットでした。

「いろいろ」とは、もちろんあの衝突事件のことだろうと推測できますが、あれ以来2人は何かと犬猿の仲と言われてきました。

たとえば、青木選手の結婚披露宴に他球団のスター選手たちが顔を見せていた中、なぜかチームリーダーの宮本さんは出席していませんでした。

11年12月12日に行われた、青木選手と元テレビ東京アナウンサーの大竹佐知さんの結婚披露宴は、

マリナーズのイチロー選手や競泳の北島康介選手、東国原英夫さんなど、豪華な招待客が200名ほど集まりました。

しかし、宮本さんの姿はどこにもなかったのです。

これは、宮本さんが空気を察して欠席したということでしたが、2人の不仲説を浮き彫りにしてしまったようです。

宮本さんと青木選手の不協和音は衝突事件の前年、08年の北京五輪にまで遡るという説もあります。

揃って五輪代表選手に選出されたのは良かったのですが、代表チームのことを思い、規律から戦略まで宮本さんは若手に指示を出したといいます。

それが青木選手をはじめとする若手から、

「監督ぶってる」と煙たがれてしまったというのです。

ことあるごとに不仲説を書き立てられる宮本さんと青木選手ですが、笑顔のツーショット画像はそんな噂を吹き飛ばしてくれたようです。

青木選手から2度にわたる謝罪を受けた宮本さんの、

「あの件に関してはもう何も思ってないです」という言葉に二言はないでしょう。

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