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小久保裕紀と柳田悠岐の珍エピソード!2時間遅刻してきたくせに・・・

   

『ギータ』という愛称で親しまれている、ソフトバンクホークスの柳田悠岐選手。

3年連続オールスターで両リーグ通じて最多票数を獲得したと言う快挙は、イチロー選手以来18年ぶりとなります。

そんな柳田選手ですが、現ホークス二軍監督の小久保裕紀さんに裏の顔を暴露されてしまいます。

小久保裕紀と柳田悠岐

小久保裕紀さんは、71年10月8日生まれで和歌山県出身。

93年にドラフト2位でダイエーホークス(現ソフトバンクホークス)に入団。

04年に無償トレードで読売ジャイアンツに移籍したものの、07年から再びホークスのユニフォームに袖を通し、12年までプレーしました。

引退後は野球日本代表の監督を務め、20年に古巣ホークスの一軍ヘッドコーチに就任し、22年現在は同チームの二軍監督を務めています。

一方の柳田悠岐選手は、88年10月9日生まれの広島県出身。

10年、ホークスの王貞治会長が

「指名候補の中で誰が一番打球を飛ばすんだ?」と聞くと、スカウトら

「柳田です」と即答したことがきっかけとなり、11年から現在もホークス一筋でプレー。

21年には野球日本代表のメンバーとして、東京オリンピック2020での金メダル獲得に貢献しました。

柳田選手といえば、トリプルスリー達成が印象に残っている人も多いでしょう。

トリプルスリーとは、3割30本30盗塁をシーズンで同時に達成することで、柳田選手は15年に達成しました。

同じ年に現ヤクルトスワローズの山田哲人選手も達成しており、

山田選手がセ・リーグ史上最年少で達成し、さらに後にもう2回達成したのに対して、

柳田選手はこの年、首位打者とトリプルスリーを同時に達成しています。

トリプルスリーと言うのは条件として30盗塁以上という項目もあるので、打ちまくれば達成できる

『三冠王』とは違い、『盗塁』というバッティングとは別の才覚が必要となり、

しばしばどちらの方が難易度が高いのか議論されることもあります。

そんな難しいトリプルスリーを達成した柳田選手や山田選手は、最強の打者と評されたりもしています。

三冠王とトリプルスリー、どちらの方が難易度が高いと思いますか?

また、視聴者の皆さんが思う最強の打者は誰でしょうか?

背番号継承

20年12月、小久保裕紀さんが新たに1軍ヘッドコーチに就任しました。

その記者会見後、柳田選手の思わぬエピソードが暴露されました。

11年に入団した柳田選手とは、2年間チームメイトだった小久保ヘッドコーチ。

そんな柳田選手に対して小久保ヘッドコーチは、

「僕のレベルよりもはるか上に行ってしまいました。本当にあそこまでなるとは思ってなかったんですけど、球界にとってなくてはならない選手になったと思います」

と語っています。

そんな柳田選手は、15年から小久保ヘッドコーチが現役時代につけていた背番号「9」を背負っています。

この背番号にまつわるエピソードこそ、柳田選手の驚くべき姿なのです。

「『背番号をくれ』と言ったのは、俺との会食の約束を忘れた日でした。2時間遅れで来て

『背番号ください』って」

と明かして、笑いを誘いました。

普通なら、大事な先輩との会食を忘れただけでも大事になるはずです。

そんな中で、「背番号ください」とお願いする図々しさ。

それが笑い話になるくらいで済む柳田選手。

もしかしたら、小久保ヘッドコーチが寛大なのかもしれません。

しかしその寛大さを引き出しているのも、柳田選手の魅力の一つと言えるのではないでしょうか?

小久保ヘッドコーチからすると、少し抜けているが可愛い後輩であり、実力も認めているから笑い話になったのでしょう。

小久保との珍エピソード

小久保二軍監督との珍エピソードはまだあります。

16年、あるテレビ番組に柳田選手らホークスの選手たちが出演しました、

当時ホークスに所属していた内川聖一選手から

「他のスポーツのイメージがない」と言われると、なんと柳田選手は

「スポーツあんまり好きじゃないんで」と返します。

これにはスタッフも失笑。

そして、インドアで漫画が大好きだと伝えます。

すると内川選手は、当時日本代表の監督だった小久保監督が、柳田選手へ本を読めとアドバイスしていたと暴露。

にもかかわらず、柳田選手が移動中に読んでいたのは『週刊少年ジャンプ』でした。

さすがに小久保監督は「お前漫画読むなって言っただろ!」とお怒りモード。

その時のやりとりを間近で見ていた記者から、

「何を話してたんですか?」と問いかけられた柳田選手。

すると真顔で「守備のことです」と伝えながら、内心は

「実際はジャンプだし」とほくそ笑んでいたそうです。確

かに漫画や雑誌も、広い括りでいえば本なのかもしれませんが、小久保監督としては小説などを読めと言いたかったのでしょう。

漫画などからも学ぶ点はあるかもしれませんが、そこら辺は解釈の違いがあったようです。

続いて、12年11月28日に熊本県内の温泉地で行われた選手たちの納会の時のこと。

現役を引退した小久保二軍監督は、自ら制定した

『キャプテン賞』に柳田選手を選出し、数十万円する腕時計を贈ります。

「理由はオレが本塁打で生きてきたから。託せるヤツはあいつしかいない。選考はレギュラーを取ってないヤツという条件。消去法。まだ3桁の時計は早い」

と後継者に認められました。渡される際に、

「最初で最後のキャプテン賞。本塁打20本以上打てなかったら返してもらうぞ」

とも言われた柳田選手。

その後、実際に15年に34HRをマークし、20本以上という条件をクリア。

それどころか、トリプルスリーと首位打者と言う特大のおまけまでつくほどの活躍をした柳田選手。

貰った腕時計を返して、3桁の時計をねだってもよさそうなほどのビッグプレイヤーになったのでした。

まとめ

現在33歳で、22年には34歳になる柳田選手。

交流戦では全18試合にスタメン出場していましたが、62打数14安打で打率.226、ホームラン0本、6打点と柳田選手らしからぬ不振ぶりでした。

年齢を考えれば、いくら柳田選手といえど衰えが出てきてもおかしくない頃です。

しかし、現ホークス一軍監督の藤本博史さんは、彼への信頼については全く揺らいでいないようです。

「柳田も状態は悪いけど、四球を取るとかでチームに貢献してくれている。本当にしんどい中でも葛藤していると思う。それでも出塁率.350近くあるわけだから。あとは状態を上げるだけ」

「3番柳田は1年間替えないつもり」

と日々柳田選手への信頼ある言葉が聞かれています。

不調の原因として、21年にアキレス腱を怪我し、その痛みをずっと抱えながらプレーしていることが指摘されています。

年が変わって状態は良くなったとされていたものの、新型のウイルスで陽性になり、十分に調整できない中でシーズンを迎える形となってしまいました。

また、心配の声が多数上がるほど痩せてしまっているようです。

しかし、現時点で22年6月下旬。

チームはパ・リーグ首位であり、シーズンもオールスターが控えているなど、まだまだこれからというところです。

かつてトリプルスリーを獲得し、これまで何度も豪快な打撃を見せてきたギータは、前年Bクラスに沈んだチームが復活するためになくてはならない選手のはずです。

今後の巻き返しに期待したいですね。

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