原辰徳が中田翔の状態に言及!「借りてきた猫みたいじゃん」意外な素顔とは?
長年日本ハムファイターズの主力として活躍した中田翔選手。
しかし、暴行事件が発覚した後に読売ジャイアンツへ移籍した後、思うような成績を残すことができず、
22年は一軍と二軍を行ったり来たりしている苦しい状況となっています。
そんな中田選手について、現巨人監督の原辰徳さんが言及しました。
移籍の経緯
中田選手は、名門の大阪桐蔭で1年の時からレギュラーを獲得。
3年生の時には4番打者としてチームを牽引しますが、惜しくも決勝戦で敗れ、甲子園出場を逃しています。
それでも4球団競合でドラフト1位指名され、日本ハムファイターズに入団。
11年頃からレギュラーになり、持ち前の長打力を活かして11〜20年まで10年連続で二桁本塁打を達成。
ベストナイン5回、打点王3回、ゴールデングラブ賞を4回獲得しており、日本代表にも選出されました。
順風満帆に見えたプロ野球生活ですが、ある事件をきっかけに中田選手のプロ野球人生は一変します。
21年、チームメイトに暴行していたことが発覚してしまいます。
この年の中田選手は絶不調で、謹慎前までの打率は.193。
チャンスでの凡退も目立ち、32歳ながらプロ野球ファンからも衰えを指摘され始めていました。
成績が奮わない中で、中田選手は8月4日の横浜DeNAベイスターズとのエキシビションマッチで暴行事件を起こしています。
チームのある投手に激高し、顔面を殴打。
その投手は壁に腰を強打し、その日の登板を回避せざるを得なかったそうです。
暴行を受けた投手は元々中田選手と仲がよく、食事もよく一緒に行っていたそうです。
しかし思うように成績が上がらない中で、中田選手と一緒にいると自分も成績があがらないと思い距離をとっていたそうです。
その日の試合中に問題が発覚し、4日の試合で中田選手は1打席立っただけで途中交代。
球場からも退場しました。
中田選手のやんちゃな言動は、急に始まったわけではありません。
高校時代に先輩と喧嘩したエピソードを自身でも語っており、
ルーキーとして注目されていた08年のキャンプでは、
連日の取材攻勢をかけた報道陣にエアガンを放つなど、攻撃的な面も多くみられる選手です。
長期政権を担っていた栗山英樹監督が、野球の実力を認めて生活指導を疎かにしていたツケが、ここにきて出たともいわれています。
中田選手は、無期限の謹慎処分を受けました。
ファンの間ではもともとこの年の成績が奮わなかったことや、
チームメイトへの暴行であることから日ハムでの復帰は難しいこと、
他球団も獲得する可能性が低いとされていたことから、
このまま引退するのではないかとすら囁かれていました。
しかし、無期限の謹慎処分を受けてからわずか9日後に、巨人への無償トレードが発表されました。
このトレードは、当時の栗山監督が親交のある巨人の原監督に頼み込んで、成立したものだといわれています。
中田選手は無期限の謹慎処分中でしたが、謹慎処分は日ハムが課したものであり、巨人に移籍した中田選手を縛ることはできません。
そのため、結果的に移籍とともに謹慎処分は解除となり、試合にも出られる状況となりました。
21年の巨人は、ヤクルトや阪神と優勝争いをしており、中田選手は打線の起爆剤として期待され、移籍後すぐに1軍で出場しました。
チームメイトへの暴行があったにもかかわらず、短い期間で謹慎終了となったため、批判の声も多く寄せられました。
また、巨人のスター選手であった現ジャイアンツ一軍作戦兼ディフェンスチーフコーチの阿部慎之助さんがつけていた背番号「10」をつけたことで、巨人ファンからも批判の声が多くあがりました。
中田選手は巨人に移籍後、すぐに試合には出場しはじめたものの、思うような成績を残すことができず、かつて日本代表として活躍していた頃の輝きを取り戻すことはできませんでした。
21年の巨人移籍後の成績は、打率.154、本塁打もわずか3本で期待に応えることはできませんでした。
もともと批判を受けていたうえに、活躍できなかったことでさらに巨人ファンからの批判も高まり、精神的にも追いつめられる状況となりました。
中田のバント
やんちゃな言動が目立つ中田選手は、ガキ大将のようなイメージが強い人も多いかもしれませんが、実はメンタル面に課題を抱える選手であるとも言われています。
むらっ気が多く、過去にも一旦不調に陥り、周囲から叩かれ始めるとどんどん成績を落とすと言う傾向がありました。
キャンプ中には「自信しかない」
と強気な発言をしたりもしましたが、弱気な自分を隠すために無理して強気な発言をしているとも言われています。
絶対に結果を出したい巨人移籍2年目のシーズン。
OP戦では強気な発言を裏付けるように打ちまくり、開幕スタメンを勝ち取ったものの、
22年も思うように活躍することができず、開幕から1ヶ月足らずの4月22日に一軍登録を抹消されました。
原監督は一軍登録を抹消する直前、中田選手について
「借りてきた猫みたい、もう少し様子を見たい」と語っていました。
原監督も、中田選手はメンタル面の問題から本来の実力を発揮できていないと感じていたのかもしれません。
その直後に登録抹消されたため、このコメントから原監督も中田選手がメンタルの強い選手ではないということを見抜いており、起用法について検討していることがわかります。
日ハム時代から主砲として長く君臨していたため、プロ入り後中田選手はバントをしたことがありませんでした。
しかし、22年5月13日の中日戦。無死一、二塁の場面で原監督は中田選手に犠打を命じました。
中田選手のバントの構えに東京ドームはどよめきに包まれたものの、きっちりと送りバントを成功させました。
プロ15年目、6,245打席目にして初めての送りバントです。
原監督は試合展開に応じて、坂本勇人選手や岡本和真選手など、
主力級の選手にも犠打を命じることが多いので、珍しいことではないかもしれませんが、
長年中田選手を見てきたファンは驚いたでしょう。
この犠打は、結果以上に中田選手にとって大きな意味があったかもしれません。
見事送りバントを決めたことで、借りてきた猫だったような中田選手が、本当の意味で巨人の一員になれた場面だったといえるのではないでしょうか?
まとめ
中田翔選手は、高校時代からスター選手として注目されていました。
高校時代だけでなく、プロ野球に入っても、日本代表に選ばれても、常に中心選手としてチームを牽引してきました。
バントや進塁打など、自分を犠牲にするプレーはほとんどなく、豪快な打撃を続けてきました。
これまでは、チームの指揮官もファンもそれを求めてきたからです。
巨人に入ってからは献身的なプレーも増え、少しずつ変わってきています。
借りてきた猫のようだった中田選手が、そのプレーでチームを勝利に導くことができるようになるか、多くのプロ野球ファンから注目が集まっています。