立浪和義が企んでいる根尾昴の起用法「第三の選択肢こそ本命」
「将来的には先発として起用したい」
これは、中日ドラゴンズの立浪和義監督が根尾昴選手について発言したものです。
根尾選手はドラフト指名された頃から
「遊撃手1本で行きたい」と明言しており、22年の途中まで野手として登録されていました。
しかし一時は外野にコンバートされ、再び遊撃手に挑戦したのち、今度は投手に転向することが明らかになっています。
実は立浪監督にとっては、それとは別の第三の選択肢こそ本命だったとされているのです。
根尾選手の育成や指導にまつわる裏事情を見てみましょう。
立浪と根尾
まずは、それぞれの略歴を紹介していきます。
立浪監督は、88年にドラフト1位で中日ドラゴンズに入団します。
1年目から一軍で活躍し、新人王とゴールデングラブ賞を受賞しました。
ゴールデングラブ賞を高卒新人が受賞したのは、NPB史上初となります。
09年に現役を引退した後、19年に野球殿堂入りを果たし、22年から古巣中日の一軍監督に就任しました。
一方の根尾選手は、19年にドラフト1位で中日ドラゴンズに入団しました。
高校時代、名門の大阪桐蔭で現千葉ロッテマリーンズの藤原恭大選手や、
現日本ハムファイターズの柿木蓮投手らと共に、
高校野球史上初となる2度目の春夏連覇を達成したことは、記憶に新しい野球ファンも多いでしょう。
高校時代は主に遊撃手と投手を務めていた根尾選手でしたが、入団にあたって遊撃手1本で勝負したいと宣言。
その後外野にコンバートされ、3年目にプロ入り後初めて開幕を一軍で迎え、22年時点でプロ4年目となっています。
第三の選択肢
入団前に「遊撃手1本でいきたい」と宣言したものの、
なかなか結果を残せず、出場機会を増やすため外野にも挑戦し、
2年目の春季キャンプでは二塁手、遊撃手、中堅手の3ポジションを忙しく動き回りました。
遊撃手以外のポジションを守って、様々な角度から野球を勉強できることは今後の大きなプラスになると考えていたそうです。
内野から外野にコンバートされて、一軍での出場機会を勝ち取った選手は数多く存在します。
しかしある球団OBは、
「根尾は二塁手が一番しっくりくる感じがする。遊撃手で比較した時、京田陽太に比べると技術はまだまだだし、送球に少し難がある。二塁手なら距離が短いので不安がない。俊足と強肩を考えれば外野手の素質があるんだろうけど、チームリーダーになれる人材は内野においてほしい」
と分析していました。
現在中日の外野には、大島洋平選手、鵜飼航丞選手、岡林勇希選手といった面々がおり、それぞれがしっかり結果を残していてなかなか割って入る隙がありません。
以前大島選手がケガで離脱した時に、根尾選手が起用されたことがあったものの、全打席で三振を喫し、その後先発で起用されることはありませんでした。
起用できない理由は、打てない以外にもさまざまな理由があります。
根尾選手は先ほどもご紹介した通り、高校時代は主に投手と遊撃手を務めていました。
遊撃手は内野の要であり、投手や二塁手に指示を送り、同時に自分自身のポジショニングも考える。
そんなポジションです。
しかし、根尾選手は高校時代にそんな遊撃手を務めていながら、そういったことを二軍で基礎から学んでいる状態だったのです。
また、送球については肩は強いものの、投手のような投げ方であるため、モーションが大きくて併殺がなかなか取れず、捕球面においても簡単なゴロを弾く姿が散見されていました。
そのため、たとえ打撃が良くなっても遊撃手で起用することが難しい状況だったのです。
その打撃もなかなか上向かず、野手としては未熟でなかなか起用できない根尾選手をどうにか使いたいと思った立浪監督は、投手に転向させようと考えました。
根尾選手は高校時代、投手として春の選抜大会で史上初となる2年連続優勝投手となっています。
立浪監督はそんな根尾選手について、最初に第二の選択肢として投手専念をあげていましたが、投打の二刀流という第三の選択肢に舵を切っていきました。
根尾選手の打撃力が上がることを、信じたかったのではないでしょうか?
野手しか経験したことがない選手を投手に転向させるのは無理がありますが、高校時代に投手をしていた根尾選手ならできると考えたのでしょう。
また、野手としてプロ入りし、投手に転向して成功した選手もいます。
投手に転向して活躍した選手
まずご紹介するのは、85年にドラフト1位でピッチャーとして阪神タイガースに入団した、遠山奨志選手です。
10年間阪神で投手を務めましたが、90年にロッテに移籍します。
移籍後の95年に左肩を痛め、外野手に転向。
97年に戦力外通告を受けましたが、現役続行を希望していた遠山選手は古巣阪神の入団テストを受験します。
吉田義男さんの要望で投球を披露したところ、西山和良編成部長とその吉田さんの判断により、投手として古巣に復帰しました。
遠山選手は
「しばらく野手として活動していたおかげで、左肩の痛みがいつの間にか消えていた」
と話しており、主に左打者へのワンポイントリリーフとして活躍しました。
特に松井秀喜さんや高橋由伸さんに強く、松井さんを13打席連続無安打に抑えたことから、
「ゴジラキラー」「野村再生工場の成功例」と呼ばれました。
なお松井さんは当時、「顔も見たくない」と発言したほか、ニューヨーク・ヤンキースへ移籍してからも
「打ち取られる夢を見た」とコメントしていました。
このように、野手から投手に転向して成績を残した選手は、遠山選手のほかにも萩原淳選手や姫野優也選手などがいます。
むしろ転向して成績を残していない選手の方が少なく、転向させたらうまくいくと考えたのではないでしょうか?
そんな根尾選手の投手転向については、様々な球界のOBからもコメントが上がっています。
広岡達朗さんは、「何をやっているのかわからない」と苦言を呈しました。
投手に転向させたことだけではなく、育成方法が定まらないまま3年たっていることに対して、怒りを募らせていました。
根尾選手はまだ22歳と、投手に転向するには遅くない年齢ですが、
2年連続選抜優勝投手になった彼の二刀流の可能性を眠らせてしまった、前監督の与田剛さんは、根尾選手をどうしたかったのでしょうか?
広岡さんは続けて、
「これから重要なのは根尾をどう育てていくか。根尾はよく練習する選手だと聞いている。いい指導者と出会うことができるのであれば、案外面白いのではないか」
と話しています。
この件について苦言を呈しているのは、広岡さんだけではありません。
鈴木孝政さんは、
「いくら大阪桐蔭で投げていたとして、今はプロですから。ポッと出てきて一軍で活躍するなんて考えられない」
と発言していました。
なお、鈴木さんは根尾選手が活躍できないと言い切ってしまったため、批判が相次ぎました。
まとめ
いかがでしたか?
多くの野球ファンを驚かせた根尾選手の投手転向でしたが、過去にも投手に転向して成功した選手もいるので、希望はありそうです。
根尾選手は
「今までやってきたことがゼロになるわけではないので、前向きにやっていきたい。僕は僕なので!」
と話しており、投手転向に前向きな姿勢を見せています。
また、投げることも打つことも好きということで、練習を頑張っていきたいとも話していました。
大谷翔平選手のような二刀流の選手になれるのか?
今後の根尾選手の活躍に期待していきたいですね。