上原浩治の引退試合はどうなるのか調べてみた!
2019年5月20日、読売ジャイアンツの上原浩治投手が、21年の現役生活を終えることを発表しました。2019年から愛着ある背番号「19」を再び背負ってました。
皆さん、お疲れ様です!
今朝の新聞の通り、今日で引退となり
ます。長い間、応援ありがとうございました。まだ心の中、頭の中がごちゃごちゃしてますので、とりあえずはご報告まで…
— KOJI UEHARA (@TeamUehara) 2019年5月20日
しかし、その姿を一軍のマウンドで見せることは叶いませんでした。そんな突然の引退発表をした上原選手ですが、引退試合がどうなるのかについて調べてみました。
プロフィール
1975年4月3日に、大阪府寝屋川市で生まれた上原投手。高校までは全くの無名選手でしたが、大学で頭角を表し、メジャーリーグも注目する存在となった中、逆指名で読売ジャイアンツに入団。プロ入り後も、アマチュア時代の評価通り圧巻の活躍で、ルーキーイヤーには20勝4敗という好成績でした。
20勝は両リーグを通じて1990年の斎藤雅樹投手以来9年ぶり、新人としては1980年の木田勇投手以来19年ぶりとなりました。その他にも最多勝利、最優秀防御率、最多奪三振、最高勝率という投手主要4部門すべてでトップとなりました。
これは史上10人目、新人としては史上3人目の快挙でした。その後、2009年1月6日にボルチモア・オリオールズと契約し、同球団初の日本人選手となりました。オリオールズを含め、メジャーリーグではその他に、テキサス・レンジャーズ、ボストン・レッドソックス、シカゴ・カブスと9年間で計4球団を渡り歩きました。
上原引退か…
ジャイアンツで生涯唯一好きな投手は上原浩治だけだ pic.twitter.com/Oz5UfiSfAF— 南部疾風 ナンブハヤテ【brasca】次郎丸美容室 (@nanananbu) 2019年5月19日
日本では主に先発投手として活躍しましたが、メジャーでは対照的に1年目の2009年以外に先発登板が無く、中継ぎ、抑えとして活躍し、2013年には日本人初のワールドシリーズ胴上げ投手となりました。2018年オフに古巣の読売ジャイアンツと1年契約を結び、日本球界への復帰が決まりました。
そして、7月20日の対広島東洋カープ戦でホールドを上げ、日米通算で100ホールドを獲得。これによって長いプロ野球の歴史の中で、日本人では史上初となる日米通算100勝100セーブ100ホールド(トリプル100)を記録しました。なお、この記録は世界全体で見ても上原投手を含めて2人しかおらず、いかにすごい記録であるかが分かると思います。
引退試合はどうなる!?
そんな上原投手ですが、引退試合がどうなるのか気になりますね。これについては色々な推測が飛び交っています。引退したとは言え、「2019年まで契約されていることから、今シーズン中に行われるのではないか」という声もあれば、「今シーズンはもうユニホームを着ることは無いだろうから、来シーズンに入ってからではないか」という意見も挙がっています。
これについては球団から発表が無い限り、いずれも予測の域でしかありません。今回の上原選手の引退発表を、もう少し詳しく掘り下げてみましょう。5月半ばという、シーズン序盤のタイミングでの引退発表は異例中の異例ですが、このことについて次のように話しています。
「8月や9月といったシーズン後半の時期は、チームは首位争いの状況をしている可能性もある中で、自身が引退の会見をすることはふさわしくないと思い、それなら早い方が良いと考えた」常にあふれる闘志で感情むき出しのプレーをしてきたことや、真剣勝負を好むメジャーリーグで長く活躍してきたこともあり、チームにとって重要な時期に勝負よりもマーケティングを重視したような在り方には、賛同しなかったのでしょう。
上原引退
44歳までやれるなんて寝屋川の誇りやで、ホンマに
お疲れ様でした(´・_・`) pic.twitter.com/OLNy2iYhNX— 魚串 中野 (@uokushi_nakano) 2019年5月19日
また、5月には入ってから球団に引退の意向を伝えた際にも、球団側から慰留があったにも関わらず、「自分の代わりに若手にチャンスを与えて欲しい」とも話していたそうです。これらの発言から、シーズン終盤の時期の引退試合は行われない可能性も高そうです。
他の例として中日ドラゴンズでは、前年限りで現役引退を発表した岩瀬仁紀投手と荒木雅博選手が、引退試合に出るために育成契約を結んでいます。ただ、オープン戦は若手の選手にとって、開幕一軍や開幕スタメンに向けてのアピールの機会でもあります。
上原選手の引退の理由を考えれば、辞退をする可能性は十分にあり得ます。メジャーリーグでも活躍した球団の功労者であることから、何も行われないということは無いかとは思いますがセレモニー等に留め、ユニホーム姿を見られる機会はもう無いのかもしれません。
まとめ
プロ野球選手というスペシャリストでありながら、先発・中継ぎ・抑えといずれの役割でも結果を残すというのは、例え希望通りの配属地や職種でなくても与えられた場所で結果を出さなければならないサラリーマンにとっては、非常に共感を呼ぶものだったと言えます。実績もそうですがそういったプレースタイルも、十分に尊敬できるものと言えるでしょう。